古来、武士は御恩と奉公により主に仕えた。
今、それは崩れてしまったけれど。

「よくもまぁこれだけ人が集まったもんだな、おい。」
「それだけ儲かるのだろう。」
「そんなに金ってーのはいいもんかね。」

貨幣経済の進んだ今、無ければ確かに困るものだが。
ブタになるのも、ブタを守るだけの人間に成り下がるのも御免だった。



恩讎分明



地べたを縫う影の上をさらに影が過ぎった。
二人連れの男だった。片方は黒い長い髪に薄汚れた鉢金の白が目立ち、いま片方は銀色の髪に赤い紅い血の色が目に付いた。白黒の世界の中でそれは酷く、やけに、鮮明に映った。
赤と白のコントラストか。黒と白のコントラストか。対比的な色は色褪せて朧気な世界の中に入って残った意識を覚醒させる。
生きている、人間
【ヒト】
動く色はそれであるのだと急速に理解した。
一瞬足を止めた男に助けてくれ、と手を伸ばす。
顰めた顔は嫌悪だったか、哀れみだったか。後者のほうが都合が良く、前者であっても別段構わなかった。願うものが誰であっても出来ることは変わらない。
自分たちの今の姿は所詮『落ち武者』。
もっとも彼らをそう称するのはこの男たちにとって心外なことかもしれないが。
累々と横たわる影のほとんどは呼吸がない。その半数以上は彼と似たような装束で武装はなかった。天人からもたらされた飛び道具に頼って刀を手放した彼らにそれは必要ではなかった。
そこに混じる男の幾人かは鉢金、手甲、帷子と討ち入り時の恰好。そう、男と同じ恰好だ。
「……銀時。」
「あーはいはい。わかってらー。」
ちらり、と一瞥をくれ長い髪の男は先に行く。その手の先が自分に向いていないことを知ったからだ。
伸ばす、伸ばす、手を。可能な限り、必死に。
助けてくれ。助けてくれ。どうか、と。
困ったようにがしがしと銀色の頭を掻いて男は大げさな溜息を吐いた。
「恩には恩で。仇には仇で。報いるのが侍ってもんだろ?」
だが返すものなどどこにも残っていない。
金も武器も全てそこにはない。
――――――ああ、そうじゃない。
男の求める恩がそういう意味ではなく、ただ行為であるとか心意気であるとかきっとそんなもので。
侍なのだ、この男は。
何かのために戦っていて、仲間の仇
[かたき]を許せるほど優しくもない。
すでに、こうしている時点で彼は男に仇
[あだ]をなしていた。
「あんたは俺に何してくれたよ?」
逆行で顔は見えない。銀の髪だけが風にふわふわと揺れている。
確かにこの男にとって利となることなどしていない。この男の陣営と敵対して、戦ってそうして負けただけ。
だって仕方がない。上が決めたことだ。
天人のもたらす物品はまるで蜜のように甘く人を吸い寄せる。殿もそれに抗うことはできなかった。
それでも。
「殿を……」
――――――助けてくれ。
きっとまだ生きているから。
きっと天人に見放され、震えているから。
「てめーでやれよ。やろうともしなかったものを押し付けるのは筋違いだ。」
背を向けて話は終わりとばかりに歩き出そうとする男の銀色の髪が歪んだ。
ああ、もう目が霞む。
かろうじで上がっていた腕が砂の上に落ちて指が地面を掻いた。
その音に
――――足音が止まる。
振り向いたりはしないけれど、深い溜息。その後に。
「これっきりだぞ、コノヤロー。」
ああ、と安堵の息を吐き、それきり息の音が消えた。

―――――――白い夜叉が願いを叶えてくれると知って。













歩く先を見る。
ドサリと人の崩れ落ちる音がしたが、後ろは振り返らなかった。
「お人よしなことだな。」
下がっていた視線を次第に上げる。
先に行ったはずの男が目に入った。
「俺のことをんなふうにいう奴はおまえくらいだぜ?ヅラぁ。」
「ヅラじゃない。桂だ。」
律儀な訂正を入れる男の普通さにへらりと笑みを浮かべてみせる。鋭くなりかけた意識は瞬間的に沈殿した。
その顔はとうてい戦場になればその顔は表情を一転させ、刀を手に走り抜けていく男には見えなかった。
普段のこの顔だけを知っている人間はちゃらんぽらんと称し、戦場の姿だけを知っている人間は夜叉と称するような二面性を持っているようには見えない。事実二面性、というわけではないのかもしれない。桂には人が変わったようには見えない。
とはいえそのどちらもこの男を正確に形容できるものではなく、ただお人よしで馬鹿で侍なのだと桂は思う。
「それに貴様を”お人よし”と称するような奴は少なくとも後二人心当たりがある。」
言葉は違う可能性は高いが、おそらく意味は同じだと言いながら桂は肩を並べる。
すたすたと歩く方向は同じ。速度はわりと速い。

「どこ行く気だぁ?」
「天守閣は向こうだ。」
くいっと顎をしゃくる方角に高くそびえる典型的な建物がある。
城の主がいるとしたらそこだった。そうして天人も残っているとしたらそこに居る。
―――――――当の昔に逃げ出した可能性が高いが。
「どのみちそこを落とさねば今日の目標が完遂したとはいえないからな。」
偉そうな物言いは、恩義でも忠誠でもなく。
それもまた侍の魂なのだろうか。

「おまえも十分お人よしやろーだろ。」

頭をはたいて駆け出せば、追ってくる足音に奇妙な安堵感を覚え。



恩ではないが、仇でもなく、ただその道を行くことを決める。