某月、某日。
小姑のように口うるさい新八は買出しでいない。安売りの広告が方々で出ていたので相当量の買い物は一日掛かるだろう。なんせ自分の家と、万事屋の分とだ。
なのに煩い。騒がしい。
その煩さはは別段嫌いでもないが、ぐたりと寝ていたいのにそうは問屋が卸さない。
「銀さん、このテレビ壊れてるわよ。」
「銀ちゃ〜ん!定春が冷たいよう〜」
小鳥のさえずりの如く―――――
「さっさと直せって言ってるんだよ!」(にっこり)
「定春一人占めしてんなヨ。」(冷々)
―――――否、そんな可愛らしいものではない。まるでゴリラ……と言うはうら若き女人に向ける言葉ではないが、遠くはあらず。
ピンポーン。
呼び鈴も彼を放っておいてはくれないと盛んに響いた。
神楽が出れば何をやりだすかわからないし、お妙がもちろん出てくれるわけが無い。
結果、自分で立ち上がって通の断り文句を口ずさみつつ。
「あーわかったわかった。新聞はお断りで……」
玄関の引き戸を引きあけて、僅か数俊黒い髪が見えた瞬間。
パタン。
「……何しに来やがったんだ?ヅラの奴。」
閉められた戸は答えはしない。
だが、目が合う前に確かに認めた姿は故知のもので。
「さあ?」
「知らないアル。」
振り返って聞いてみても冷たい答えが返ってくるだけだ。
二度目の呼び鈴の音がさしたる時間もたたずに再び鳴る。
先客万来。されど客は来ず。万事屋の家計には閑古鳥の鳴き声がいつも通り聞こえてくる。
お妙にヅラ、はて今度は何者か。身内ばかりの来客では当然のことだ。
所詮、このご時世に侍の何でも屋など流行はしない。されど気にした様子もなく。
「はいはいっと。今度は一体なんだってんだコノヤロー。」
家賃の取立てはすでに終わっている――――もちろん払っていないが――――そう安心して戸を開き。
「……」
「……」
視線がかち合って、沈黙、脱力。
ただし彼の場合常に脱力しきっているという話で、つまるところ変化は無い。
「だからいったい何をしに来たんだってんだよ。ヅラァ。」
「ヅラじゃない。ヅラ子だ。」
至極真面目に返されたまともではないいつも通りの返答に彼もまた普通に返し、それからやっと普段と一層違うことに気づく。もちろん見覚えのあることに変わりはなく、むしろその変名にもなっていない名前も、いつもの着物に羽織でもない色鮮やかな女物の着物も記憶に新しい。
「てめぇその格好意外と気にいってんのか?」
似たような格好をさせられた身としては自らまた着ようなどという神経が信じられない。
別段嫌だとは思わないが、好んで着たいとも思わない。いつもの格好がやはり一番楽であり、好きである。どちらでも見た目で人の態度は変わらないような気がするので動きやすければ別に構いはしないのだが。少しばかり先日の穴から抜けなくなった事件は後を引いているらしい。ちょっとしたトラウマとでも言うべきか。桂が通って自分が詰まったのなどは帯の所為だ帯の。
「話があるんだが。」
「いつもみてーな物騒な話ならお断りだな。」
「土産は不○屋のショートケーキだが。」
「よし、座ってちょっくら待ってろや。お茶はでねーけどな。」
「期待はしていない。」
変わり身早く180度台詞を反転。
甘いものをこよなく愛するが、ドクターストップと金欠のために食べられる機会はなかなか少ない。その一番の理由である金銭、糖分がただで取れるなら話くらい聞いてやることなどへでもない。
少々時間をくれてやるだけで、元々攘夷志士として活動してきた男だ。その話は面白くは無いが、つまらなくも無い。何度となく語ってきた話が血なまぐささが取れ、変わりに犯罪くささがにおってきただけの話。指名手配なんぞを受けている桂の話は万に一つであるが役に立つ可能性がなくもない。何でも屋などという仕事をしている銀時にとって脳の許容量の心配以外には害はない。
それになにより聞くだけだ。それ以上の約束はしないし、させない。付き合いが長いだけあってどちらも扱いを心得ている。
「神楽、お妙。悪ぃな、ちっとばっかり用事が出来たみてーだ。」
そこをのけと手を振るしぐさにむっとして手を上下に振られた二人は拳を握る。
気の短い彼女たちでなくとも十分に気を悪くするだろう。
しかも自分の家ではないが家主以上に悠々と過ごして来た後だけにいっそうそれは冷たく感じる。
「はいはい。神楽ちゃん行くわよ。」
「えー。めんどくさいアル。」
「たしかにものすごく面倒だけど家主さんが私たちを邪魔だと仰るんだもの。定春の散歩でも行きましょう。」
「お妙……おめぇさり気な拗ね方するのな。」
「ほら、銀さんは私たちより美人のヅラ子さんがよろしいようよ。」
「いや、ちょっと待て!激しく誤解を招く言い方を!!」
「そうか、銀時。貴様俺のこの美貌に惚れたか。」
「んなわけあるかボケェ〜!」
自分の言葉が引き起こした男二人のどつき合いは見事に無視してお妙はぐいと定春の綱を引く。
もともと綱など付けても振り回されるのが落ちでそのまま放し飼いだったが、散歩には必要だと無理やりお妙が付けた綱は彼女の怪力と定春の抵抗とであっけなく、僅か一日、もしくは数時間で。
――――ブチン、と切れた。
そしてそれが向かうのはいつもの如く。
ガブリ。
「定春も行きたくないっぽいネ。」
「っていうか痛ぇんだよ。誰か心配しろや。」
「定春、大丈夫アルか?そんなもん食べたら腹壊すネ。」
「そっちの心配かよ!」
そんな掛け合いの後ろから唐突に寒波が襲った。
「行くわよ定春」
ニッコリ。
こうなったお妙に逆らえるものなど存在せず、新八がいなくともそれを感じ取った定春初め人三人もただその命に従った。
***
嵐のように出て行った犬と女二人を血をだらだらと流しながら呆然と見送って銀時はひらひらと手を振った。とりあえず、今は静かだ。それがいつまで続くかとか、ぐたりと寝ていられるかは別として。
「とりあえず拭いておけ。流血しているぞ。」
さんざんな部屋の中で一人泰然と佇む――――といえば聞こえが良いが、実際は呆然として座れなかっただけだ――――桂に指摘され、銀時は自分では見れない傷を指で追い、その血を掬って確認した。
「深い傷でもないから問題ねーよ。こんなもんは慣れだ慣れ。むしろ流れた分の糖分くれ。」
「仮にも侍なら怪我の危険性くらい分かっているだろう。手当てくらいはしておけ。……それにしてもお前があのような愛くるしい生き物に好かれているとは世も末だな。」
「てめーの感性は神楽と同じく世界滅亡の危機だよ。」
差し出された手ぬぐいでぐいとぬぐい、適当に畳んでつき返す。
洗うのも面倒であるし、買って返す余裕などあろうはずがなく、そのまま返すことにする。
べったりと付いたはずの血を見なかったわけもあるまいに、顔をしかめることなく受け取った桂はそれを大事に懐にしまいこんだ。
怪我の手当てはそれで終わりとばかりにソファーにどっかりと腰を下ろし、何にか何故かわだかまりを残した桂もそれに習った。
勝手に入れたお茶と持ってきたケーキだけが古ぼけたテーブルの上に並んだ。
「……良かったのか?」
僅かな逡巡をあらわすかのような短い沈黙の後、問題の核心ではない言葉が自然出てきたらしかった。目的語のない台詞は、意味の取りやすいものではないがとりあえず銀時には通じたようだった。
「用事なんだろ?」
別段気にした風も無く、あっさりと銀時は言って首をかしげた。なぜそんなことを聞くのかわからないとでもいうように。
「俺は別に彼女たちがいても問題なかったが。それに助手もいないようだな。」
「新八は今日は買出しで元からいねーの。変な気まわすんじゃねーよ。しいていうならアレだ。俺の糖分が少なくならないようにだな。あいつら俺が買っておく奴は端から食べていきやがる。」
聞きたい答えとは酷くずれていた。
別段気を回したわけではなかった。確かに強烈かつ物騒な娘たちではあったが……
「遠ざけたのは物騒なことに巻き込みたくないからか……」
それとも、と。
僅かに重く、僅かに鋭く。
今はない、殺気を引き出すかのように。
「昔を聞かれたくないからか?」
意地の悪い問い。
何を、何故、如何して、投げかける?
困らせたいのか、怒らせたいのかそれすれも分からない。
ただ……あれを過去のこととして自分を隠すべきものとして扱われるのが耐えられない。
「別に聞かれちゃ困ることなんてありゃしねーだろ。」
「そうか。それが昔に関係があり、今しなくてはならない危険な話であってもか?」
あー、と一瞬僅かな間の後溜息。
「別に同じだろ。てめーの持ちかける話なんざどうせ受ける予定はねーんだから。」
予定、と確定の意思ではなく未定の予測で銀時は答えた。確定で答えてしまうには前例がありすぎた。もっとも何度か共同で事にあたったこともあるが、それは策略の末もしくは利害の一致の場合のみではあるが。
「それで?わざわざそんな格好までして何の用だヅラ。」
「ヅラじゃない。ヅラ子だ。」
「あーそーだね。んあじゃヅラ子一体なんの話ですか。」
投げやりに名前を言い直して復唱する銀時にふむ、とこれまた至極真面目に答えを返した。
「この格好には別に他意はない。」
「おめー実は気に入ってんだろその格好。」
今度は断定の台詞にそうでないとしても反対の言葉は投げられなかった。
実のところ他意はある。
ただ、それは酷く子供っぽいふざけた理由ではあるが。ゆえに普通に訪ねて来、扉が開ききる前にそれを閉めたのだ。そこから見えた光景ゆえに。
男一人に群れるように女が二人。それはある意味では見慣れたものではあったけれど。
つまらない対抗意識。
「指名手配が掛かっている身としては便利ではあるな。」
「その指名手配犯がふらふら出歩いてんな。」
それこそがおかしい。まず、第一に指名手配犯などというものはじっとしているとは言わないものの、こうも堂々と白昼を歩いていていいものか。確かに正論であるが、まったくもって意味の無い忠告ではある。もっとも銀時は忠告の意味などもって発したわけではないだろうが。
「お前が訪ねてきてくれるならここに来る分は控えられるな。」
「それこそ無茶だろ。お前定住してねーじゃねーかよ。」
「なら一所に住居を定めればお前のほうから出向いてくるというのか?」
試すように、欺くように伺い、その顔を見る。
答えを促せば、銀時はいいやと笑った。
「それに俺ぁものぐさだからな。行くより来てもらうほうが早くていいや。」
来いよ、来いよとそれは言った。まるで蝶を花に誘うかのごとく。
それに答えて。
「薄情なことだな。」
「だから何十年も疎遠だったんだろ。」
「そんなに長いわけがあるか。何十年といえるほど生きていまい。自分の歳も憶えらんのか?」
「お茶目な冗談くらい通じろよ。」
「貴様は普段が馬鹿すぎて、馬鹿な言動が冗談に感じられん。」
「真面目に馬鹿やってるお前に言われても信憑性ねーよ。」
ヅラ子がお気に入りなのはむしろ私です。
愛しの銀さんハーレム状態なので対抗意識にてヅラ子発動。