自由が利かない子供の身を憂いて泣いたのは両親の死ぬ一ヶ月前だった。
桜と緑の鳥は別れの証で嫌いになることも出来たはずなのに。
”キラもそのうちプラントに来るんだろ?”
”ずっと一緒にいよう、キラ”
それはささやかな君と僕の約束でした。
■◇恋の空騒ぎ◇■
「艦長っ!」
真っ先に異変に気づいたノイマンが悲鳴に近い声を上げる。
ラクスとイージス、さらにイージスとストライクのやり取りに気を取られていたマリューはその切羽詰った響きにはっとそちらを振り返った。
「操縦が、利きません!!」
「システムがっ……」
CICの方でも同じく声が上がる。
あわててマリューもナタルも確認に目を走らせるが、どれもエラーをはじき出すばかりで使い物にならない。
「なんてこと……」
「……ストライクか……?」
原因を断定して、けれど半信半疑でナタルは呟いた。
正確には”キラ・ヤマト”がだ。
おそらくは先程猛然と打っていたものの結果がこれなのだろう。あのタイミングでザフト艦からしかけられるとは考えられない。こんなにも簡単にシステムを壊せるものならとっくにやっていただろう。
「一体何をしたんだ!?」
パニック状態に陥ったアークエンジェルのブリッジで立ち直ったわけでもないが、いち早くナタルが叫ぶ。
それはなにもアークエンジェルに限ったことではなく、フラガのゼロへも、接触回線からイージスを伝い、ヴェサリウスに飛び、ガモフに飛び、さらに近辺のザフト艦にまでわたった。
地球軍がザフトに比べその被害が少ないのはひとえにどこにも登録されていない未認証艦だったからにすぎない。
ストライク以外のあらゆるものを停止させた少女はそれでもただ涙を零して嫌、嫌、と首を振る。
制御を失った船とモビルスーツは宇宙空間に漂ったまま少女の次の行動を見守るしかなかった。
引き金はたった一言だった。
”プラントには帰ろう”
帰ろう――――誰と一緒に?
誰の元へ?
キラがプラントへいけるのはアスランがいるから。帰る場所もアスランのところしかない。
なのにそのアスランが婚約者と一緒に笑いあって目の前に映る。
それは耐えられないことだ。
だから逃げ出してきたのに。だから見つからないように一人でいたのに。
決して彼に嫌われないように。
醜い感情を彼の前にさらさないように。
そんな追い詰められた思考が考えるより前に手がキーボードの上を動く。それを回避するための武器を探した。作り上げた、と言った方が正しいのかもしれないが。
アークエンジェルへの回線はもちろんあったし、接触回線でつながれている今イージスに送りつけることも簡単だった。
そこを通せばアスランの母艦のザフト艦にだって十分ウィルスを流すことができた。
ラクスもこれ以上閉じ込めておかなくても住むし、彼女に向き合うことで自分の醜さを見なくてもいい。
どちらか一方ではなく、両方を壊してしまえばどちらも死ぬことはないのだ。
そんな状態で戦いなどできはしないのだから。
最後のキーを押すとストライク以外の全てが動きを止めていく。
通信と生命維持の機器だけは手を出さないよう指示された超強力なウィルスは僅か数秒で完全にあたり一面を沈黙させた。
『キラっ』
「アスラン、僕はプラントへは帰らない。」
アスランの抗議の言葉を遮ってキラは言う。
「これが僕の正義だ。」
涙とともに言い切った彼女のとった正義は、非常識極まりない方法だった。
なんとかならないかとめちゃくちゃになったOSを弄りながら、アスランは苦笑をもらす。
「キラらしいっていえばらしいんだろうけど……」
こうなってしまったらもうどうにもならない。即席とはいえキラのウィルスを駆除するなんて無謀も良いところだ。
キラは癇癪を起こしているだけだ。癇癪を起こしたとき、キラは途端に攻撃的になる。
普段は呆れるほどにお人よしなくせに、一度ぷっつんすればそれはもう口は悪いし強いのだ。
そんなキラの癇癪を宥める方法はアスランが一番良く知っていた。
『僕の正義を問うなら君の正義はなんだっ……』
「キラ……」
『このうそつき、二股男、優柔不断、甲斐性なし!』
延々と並べ立てられる聞き苦しい単語をひたすら聞き流すことに勤めたアスランは流石に口元がひくひくと引きつるのを何とか忍の一字で堪えた。
別れ方からしてそう言われてもしかたがないのかもしれないが……
本人はキラ一筋で来たつもりであるので酷くやるせない。というか胸に突き刺さるというか。
『僕をお嫁さんにしてくれるって言ったくせに!』
止めの言葉は事情を知らなかった人間を一時そのまま留め置かせた。
笑っていられるのはラクス・クラインとラウ・ル・クルーゼくらいなもので、事情の分かってきた人間もそれを拒否していた人間もあまりに可愛らしい台詞があまりに殺伐とした場所で叫ばれることに理解を拒否した。認めてしまえばこれが単なる痴話げんかだと分かってしまう。
そんな子供の時の話を、とはアスランは言わなかった。
言った本人が勿論本気で真剣だったからだ。
父の連絡にキラだと思って行った場所にラクスがいたときは本当に驚いたのだから。
だが父がもちろん彼の懇願を聞いてくれることはなく、弁解をする前にキラは姿を消した。
「俺だってそうしたかったさ。なのにキラはいなくなった!」
『それは君が婚約したからだろう。』
「だからそれは父が無理やり……」
『僕にそれを見ていろっていうの!?デリカシーなさ過ぎるよアスラン!!』
「デリカシーって……そんなの今更……」
『そんなだから友達できないんだよっ!』
叫ばれた台詞はどこまでも可愛らしかったが、子供の喧嘩でもその歳では言わないだろう。
両親がテロで死んでから幼馴染のツテでザラ家に引き取られたキラはその父の嘆きを、母の憂いを聞いてすごした。
”キラちゃんは可愛くていいわねぇ……もうお友達もできたでしょ?”
”うん!レノアさん、今度一緒に遊びに行こうって約束したの!”
”良かったわ……でもアスランはまだなのよねぇ……キラちゃんより一ヶ月は前にこっちに来たのに……”
”僕もアスラン以上に仲の良い子はいないよ。親友はアスランだけでいいの!”
”そうねキラちゃんがいてくれれば安心ね”
それでも苦笑と溜息はとれず、そんな会話があった。
その場にアスランは流石にいなかったけれど年中交わされれば自然彼の耳にも入った。
「そんなものいらないさ。」
冷たい口調でアスランは断ずる。
傷ついたようにキラはぎゅっと一回目をつぶって溜まった涙を無意識のうちに落とした。
「それでキラが手に入るならいらない。キラがいれば十分だ。」
『なっ……』
「キラがいなければ笑えないし、楽しくもない。」
絶句するバックグラウンドはまるでキラの心情を拡大して映したかのようにさえ見える。
強い執着を向けられた少女は俯いて唇を噛んで小さく首を振った。
『どうして今更そんなこと言うの……?』
さっきの勢いもなく弱弱しく発せられた声は疑問、というより困惑が深い。
悲しみにも諦めにも似た”今更”と言って。
「今更?俺にとってはやっとだよ。」
『だって僕は……!』
もう少し早ければ違ったのかもしれない。
もう少し違う再会をすればもっと素直になれたかもしれない。
そんなことを言われて嬉しくないはずはないのだ。
『もう僕の手はこんなに赤いのに。』
その言葉に何がキラを縛り付けるのか分かって――――――プラントへの拒絶はともかく少なくとも今の諦めの部分は。
人を殺してしまったという罪の意識と、今まさに敵対しているという事実。
わかっていたはずだ……優しいキラが戦闘行為に傷ついていないわけがないと。
戦争という免罪符は彼女には通じないのだと。どちらの正義も彼女のものではないのだから。
(本当に……変わってないな……)
戦争に、人殺しに慣れてしまった自分とは大きな違いだと苦笑してアスランはシートに体を固定していたベルトを外し、コックピットハッチの開閉ボタンを押した。
幸いコックピットの開閉は可能だった。キラのウィルスはそこまで侵食するほど細かな部分までは破壊してはいない。
飛び出した場所から目指す場所はごくごく近くにあった。
『アスランっ!?』
「キラ、そこを開けて。」
こつこつとストライクの胸部をたたき呼びかければ、慌ててキラはハッチを開けた。それにスルリとアスランは滑り込む。
狭いコックピットに二人シートに固定されたキラを抱きしめれば顔はそむけるくせに、手だけはぎゅっとスーツの端を掴んで。
「なんて無茶するんだよ……」
「ちゃんとパイロットスーツを着ているんだ。無茶じゃないさ。」
「馬鹿アスラン……」
「そっくりそのままキラに返すよ。」
優しく笑んでみせながら手を取って。
「ほら。キラの手は今も綺麗だ。」
歯の浮くような台詞を彼は言い、その手に唇を落とす。
それだけで、ほらキラの顔は真っ赤になって機嫌は直る。
「アスランの馬鹿〜」
「はい、はい。どうせ俺はキラ馬鹿だから。」
「なんだよそれ。馬鹿ばかばーか。」
「罵倒は後で聞いてあげるから……プラントに帰ろう?」
変わらない仲直りの印に優しいキスを交わし。
こくり、とキラが肯いたことでアスランは見るものが卒倒するほどの嬉しそうな笑顔を見せた。
そうして――――――――――――――
一年越しの痴話喧嘩はザフト艦の大量破損、および地球軍新型戦艦アークエンジェルの走行不能そしてラクス・クライン救出という華々しい戦績を残して収束した。
* 空騒ぎというか馬鹿騒ぎというか。
アスランを罵倒するキラが楽しくて仕方がなかった…(笑)私にしてはかなり珍しく真面目に恋愛をやっているような気がします。所詮犬も食わない類の喧嘩。
そしてキラさんラクスさんに嫉妬。これは初めてです。矢印はみな主人公に向かうのがうちの作風だったので。