プラントを離れたのは遠い、遠い昔。
きっと三日前でもそう言ったでしょう。
それくらい変わってしまったから。
本当はたった、というべきなのか。もう、と言うべきなのか。
一年前のあの日
――――――”彼”が婚約者を得た日のことです。



■◇恋の空騒ぎ◇■



「それがおまえの正義か、キラ!」
放たれた言葉に心臓が凍る気がした。
違う、違う。
そうじゃ、ない。
必死で首を振るキラを彼は見ない。憤り、にらみつけ、そして去る。
きっと彼が通信を切断しただろうことを察してキラはやっと否定の言葉を搾り出した。
「正義なんかじゃ……ないっ……」
キラの意思でもない。
アークエンジェルの誰もが初めからそうであったはずもなく、どんなことであってもそれを正義と言っていいはずがなかった。

ラクス。桃色の髪と青い目が優しいプラントの歌姫ラクス・クライン。
憧れて止まなかった。不憫でならなかった。
羨ましくてしかたがなかった。心配でしかたがなかった。

―――――――――――憎くてしかたがなかった。

だって彼女はアスランの婚約者だ。
キラが持ち得なかった資格を持つ、幸せな最後の世界を壊した人。
キラが大好きな人は三年前に一人、二人、居なくなり、11ヶ月前に三人目を失って。
それから立ち直るのとほぼ同時に彼は彼女の元から去った。
軍に入り、ラクス・クラインという婚約者を側に置くことで。
アスランが望んだことなのか、彼の父親の強制なのか、そんなことは問題ではなかった。
問題なのはキラがその事実に耐えられるか、耐えられないか、ただそれだけで。
耐えられなかったキラはだから逃げ出したのだ。中立というコーディネイターも生きられる仮初の共栄圏へ。
それでも。
「僕は……」
アスランに軽蔑されるようなことをするはずがなかった。子供らしい正義感は彼も彼女も酷く似ていて。
だから彼も分かっているはずなのに。
なのに。それなのに。
「君は、もう分かってくれないの?」
それだけ離れてしまった。
しかたがない、と思うはずなのに。こうやって何度も向き合って剣を向け合っているというのに。
妬心と悔しさみたいなどろどろするキラが嫌った自身の醜い感情に。
強張った体は小刻みに震え、指一つさえ意思を持って動こうとしなかった。






ナタルの宣言から戦闘は終わったというのに、一向に帰投しようとしないストライクに不振を感じたミリアリアは軽く眉を潜める。
(怪我でもしたの…・・・?)
「キラ?キラ、どうしたの?」
呼びかけても一向に反応のない様子に声は次第に高くなる。
電波状況が悪いわけではない。その証拠に焦ってつないだ画面はキラを映した。
どこか呆然としたまま動かないヒト。
何かキラキラと光るものが彼女の周りにいくつも浮いていた。

―――――――――水滴だ、とミリアリアは気づいた。汗ではなくきっとそれは……

「キラ・ヤマト、何をしている!?」
ラクスの腕を放し、カズイに付き返したインカムの代わりにミリアリアのインカムを奪うようにしてナタルが叱責を浴びせる。その思わず背筋を伸ばす一喝にも身じろぎもしないキラにミリアリアに続きナタルも困惑深い顔で画面越しのキラを見た。
「いったい……?」
どうしたんだ、と水滴が何であるかは気づかなかったようだが。
このまま異変が続けばザフト艦はなんらかの動きをみせるだろう。人質がいると分かったら今度は救出に何らかの手を打つはずだ。
せっかく一先ずとはいえ収束した戦闘を体勢を整える前に再開されてはたまらない。
異変に気づき、ストライクを取られたらおそらく交換せずにはいられないのだから。
「キラ・ヤマト。帰投しろと言っているんだ聞こえないのか!?」
焦りで苛立たしげな声にやはり反応する声はなく。
困惑した空気はブリッジ全体に流れた。

そんな中で。

ふわり、と動いたのは紫と白のドレスの豊かな布だった。
ナタルの持つインカムを手に取り歌を歌うのと同じ発声で全周波放送を流す。

「アスラン・ザラ。」

婚約者の名を彼女は名指しで呼ばわった。

「この空域にいるのでしょう?」

自分の捜索に婚約者であるアスランが来ていない筈がなかった。
ラクスが別段どうも思わなくても世間はそれを許さない。
婚姻統制による対の遺伝子故の婚約。だがそれ以上に国防委員長と最高評議会議長の息子と娘という、急進派と穏健派の子供というそんな政治的意図が強かった。

もっともこれはラクス捜索部隊であるという確証はなかった。彼女が行方不明となった宇宙域からは若干離れている。
だが、もう一つ確信できる要因はそのキラの反応こそだった。
きっと彼女に正体を無くさせる言葉を発せられるのは唯一人
――――――――幼馴染のアスラン・ザラだけだ。そう断言できるくらい垣間見たキラは透明で、優しくて、強かった。

「一体キラさまに何を仰ったのですか?」

キラ・ヤマトという少女の存在はずっと知っていた。
アスランが必死に探す女の子の名前。
婚約した当初、彼はまったくといってラクスに興味を示さず、義務も果たそうとはせずに彼女の行方を追っていた。そんな彼を見てラクスは何もしなかった。
ラクスには断る理由がなかった。波風を立ててまで守りたいものも得たいものもまだなかった。
幸い紹介された少年が見目麗しく、気性も不器用ながら優しかったから。
でもそれは誰かを犠牲にしてまで守りたいものでもなく、キラを泣かせる原因になりたくないと思う。

ずっと会ってみたかった。
せがんで聞き出した話の中と写真の中でしか見たことのないキラに。

「貴様っ勝手に何を……!」
この奇妙な呼びかけに驚いて一瞬遅れた対応に、ナタルが慌てて動き出すがいささか遅く彼女の腕を捕まえる前に、ストライクと交戦、ラクスの人質宣言後帰投するため遠ざかっていたイージスが不意に動きを止めた。

『ずいぶんとお元気なようですね。』

その声は落ち着いてはいるがかなり若い。
落ち着いたその中に何故か苛立たしげな響きがある。
おそらくそれがイージスのパイロットだとブリッジにいる誰もがわかった。

「ええ。キラ様のお陰でわたくしは元気にしておりますわ。」
『キラのお陰、ですか。』

この唯一言ずつのやり取りに不思議なものをマリューたちは感じた。
人質と兵士というには些かずれた感のある会話も。
気安くキラ、と言うところも。
何かが可笑しい。どうして話が通じるのか。

『キラはいつもそうだ。』

嬉しいのかもしれない。呆れているのかもしれない。
溜息のような苦笑のような複雑な心情がその言葉には表されていた。

「それで?先程の戦闘時一体何を話していらっしゃったのです?」
『戦闘中に話を出来るほど余裕はありませんよ。』
「まあまあ。でしたら何故キラ様があの白いものに乗られているのをご存知なのですの?」
『そうですね、ザフトに来いとは言いましたが。』

しれっとして明るみに出された事実にぎょっとしてマリューがシートから身を乗り出す。
驚きに毀れた声に全周波放送という派手な方法で会話を交わす二人は見向きもしなかった。

『でもっキラはっ行けないとって……』

いつもいつも戦闘のたびそんなやり取りを交わしてきたというのか。
そしてそのたび何と言ってキラが断るのかマリューには簡単に想像できた。
ブリッジで艦の運営を手伝ってくれている彼らはまさに人質ともいえる。たとえ彼女らが意図していなくとも。
―――――――――――――最悪だ。
マリューは天井を仰いで額を汗を掻いた手で覆う。
想像もしていなかったのだ。ザフトにそれも直接アークエンジェルを襲う部隊の中に知り合いがいるなど。彼女はコーディネイターだというのに。
胸が痛むどころの話ではない。
確かな言質をとったわけではないがこの会話はどうみてもそういう話だ。

「それで苛立ち紛れに八つ当たりですか?」
『俺がっキラにそんなことをするわけがないでしょうっ!!』
「ではこのキラ様のご様子はなんだというのです?」
『それは……』

わからずに黙るしかないアスランにラクスは答えを与えはしない。いかにラクスといえども正確な答えはキラが口をつぐめばアスランしか知るはずのないことだ。最後のやりとりは二人の間のみで交わされたのだから。

「ずっと探されていた方なのでしょう?やっと見つけたのにそのままで良いのですか?」
『良いわけがないでしょう!!』
「でしたら、言葉が人にとって時に何よりの凶器になることを知るべきですわ。」
『……あなたがそれを言うんですか、ラクス……』

頭が痛いとでも言いたげな少年の言葉に深い笑みを湛えてラクスは笑う。

「わたくしだから言うのですわ。アスラン。」



***



どうしてキラが動きを止めてしまったかなんてさっぱり分からなかった。
自分が何を言ったのか。
無意識に口走ったこと意外ならだいたいのところ思い出せるが、それにしたって一体全体何がキラにそんな影響を与えたのか分からない。
(そんな状態で何を言えるというんだ?)
抱きしめることも涙を拭ってやることもできやしないと、笑ってしまうことにうろたえるしかない。
それでも放って置くことなどできるはずがないし、これはチャンスでもある。

「キラ、キラ。聞こえてる?」

反応は、ない。
ラクスとのやり取りは全周波で流されたからこの行動を見ているだろう帰投命令を受けつかないようにヴェサリウスとの回線は閉じた。

「ザフトに来いとは言わない。けどプラントには帰ろう、キラ。」

ラクスがいればその付き添いとでもなんとでも言って迎えの船に乗せる事ができるだろう。こんな戦場にキラを置いておくことはしたくない。
その前の関門はラクスの発言でどうにでもなるはずだ。キラは軍人ではないのだから。

「無言は承諾とみなすよ、キラ。」

ぴくり、とキラが何かに反応した。

『嫌っ!プラントは嫌っ!!あそこにはもういたくないっ。』

何が彼女にそう言わせるのかさっぱりとわからなかった。
プラントはコーディネイターの世界そのものだった。
楽園というにはいささか平凡な、けれど人工的で美しい国は。

何か突き動かされたように猛然とキラの手はキーボードの上を走る。
画面には据わった上体のパイロットが映る仕組みになっているからそのパイロットが見ている画面は画像からでは判断できない。
嫌な予感を感じていささか乱暴にでもキラに問いただそうとした瞬間。
そこかしこでエラー音が鳴った。

「なっ……ウィルスか!?キラっ……」

慌てて引き出したキーボードに手を走らせ、駆除あるいは切り離していくが、追いつかない。
それは制御など目的としない、キラでもどうしようもないくらいにシステム内で破壊の限りを尽くす。

『いやったらいやったら嫌だ!!』

それはただ拒絶のためのいささか危険な自衛本能の結果だった。



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