翼をもがれた天使は唯の人に過ぎず。
手足をもがれた獣は唯の生物に過ぎず。
壊れて動けなくなったMSは――――――
――――――唯のガラクタに過ぎない。
戦闘の光が遠く見える。どこまでも続く宇宙の暗がりの中で、その光が幾つも幾つも生まれては消え、消えては生まれて、消える瞬間など感じさせない。
連続的なそれは命の循環に似ている。
ここでは何かを生じさせる生産的な行為はないけれど。削るだけ削って、人が少なくなったらどこかで爆発的に増えるのだ。
人類は滅びない。決して。
そうでなくてはいけないと、そうであるように画策する大人がいる。
そう、どんなことでも行われるのだ。
粛清する人間は居ず、滅びを繰り返しながらただ夢を追い求める。そうしてまた行われる争い。
そんな世界から外れた動かないガラクタの中でぼんやりと彼は目を開く。飛んでいた意識は徐々に徐々に戻って。そうして今を認識する。
目をやったモニターは生きていて、見える光景はまだ戦闘が激しく行われているところからそれほど長い間ではなかったようだ。
死んでしまった無邪気な少女の姿を見たような気がしたけれど、シンはそこに行くことはなかった。行きたいと思ったか、と問われたら否定はできない。
誰も居ない、空間。
がちゃがちゃとトリガーを動かしてみるけれど、ディステニーはうんともすんとも言わなかった。フッドペダルも同様で、動く感覚はない。
シンは生きているけれど、ディステニーは死んでしまったのだと知る。ミネルバに帰れればまた生き返るのかもしれないが、帰る術すらそこにはなかった。
バラバラにこそなってはいないが、それはもうただの金属の塊―――ガラクタだ。
残骸になりそこねたガラクタは彼のいるそれ一つだけではない。
視認できるはずもないが、それらがコックピットを狙わないというのはシンの良く知る事実である。
彼が倒れた赤い機体。
そうして――――見上げる。
悠然と巨大なビーム兵器をマウントし、メサイアを切り裂いていく機体。
一際目立つそれは青い翼を持っている。
細部や装備は違うが、二年前と同じ名前を持つ機体――――フリーダム。
倒したはずのそれはいつのまにかまた現れた。
不死身なのか。それともよほど死神に嫌われているのか。万人に死は訪れるが、死神に好かれた人間ほど死は早く、嫌われた人間ほど死は遅い。死神にすら嫌われているんだなと嘲笑してはみるけれど、それで気が晴れるわけでもなく。
パイロットも同じであることは、その戦闘パターンから肯定されている。
見せ付けられる景色が何よりもシンに肯定させる。
モニターが生きているのが救いなのか、それとも苦痛だけなのか。
「くそっ…くそっ……!!」
殴りつける拳から血が出ても、それはもう動きもしなかった。
フェイズシフトの切れた人型は色を失って灰色だ。色のない世界にあれば紛れて気づいてもらえないんじゃないかという恐怖が徐々に湧き出す。
この混乱時、壊れた機体のエマージャンシーは発動するのか自信がない。
蹴り飛ばされて流された機体は傷ついてボロボロだ。フリーダム同様新しいらしいジャスティスに乗ったアスラン・ザラ。
フリーダムの次にムカツク機体―――――人間。
オーブの護衛然とした調子も、上司面した顔も、女にだらだらと情けない顔も、いい人ぶったくせにさっさと逃げ出す卑怯っぷりも、挙句メイリンまで巻き込んだ業績もムカツク。ほんの少し、凄いだなんて思ったしまったから特に。
「なんでっ……!」
それは”力”ではなかったのか。
同じ時期、同じ技術力を持って開発された。
同じ条件の違う機体。特性はあるとはいえ、インパルスの流れを汲むディスティニーが自分に合っていないとは思わない。
なら違うのはただ、己と相手の力量のみだ。
「……くしょう」
零れ落ちる言葉は罵りともいえない悪態の言葉で。
悔しいのだ。ただ、あの男よりも劣っているという事実が、フリーダムに届かないという事実が。
あの時―――フリーダムを撃破したとき、手が届いたのだと思っていた。インパルスで十分に。そして彼はエースパイロットになったのだ。
それ、なのに。
「ちくしょうっ……!!」
ダン。
ダン、ダン。
ダン、ダン、ダン。
それ以上壊しても状況がよくなるわけがない。装甲は実弾では壊れなくても、コックピットは人の手ですら簡単に壊れる。モビルスーツなどというものは所詮精密機械の塊で、コックピットはその中心部だ。だから蹴り一つで気を失うほどのショックを集め、こうしてまだ壊れていく。
見えるあの機体の居る場所。そこに行きたかった。
こんなところで戦線離脱なんて、冗談じゃない。ザフトのエースパイロットになったのに。目的はこのところずっと相対していたジャスティスですらない。フリーダムなのだ。
打ち続けた拳を画面に下ろしたままシンは項垂れる。
と、唐突にモニターが暗闇と光と物体以外の物を映した。生きていたらしい回線に割り込まれている。
『何故、泣いてるの?』
送られてきたメッセージは命令でも、救助でもない。
それはこちらの状態を見越したような問い。
「なんだよ、これ」
ドキドキともう一度その言葉を目でなぞる。
そうしてすぐに続きが送られてくる。
『キミは何処に行くことを望む?』
暗示めいた言葉。
啓示めいた羅列。
「俺がどこに行きたいかって……決ってるだろ」
手が勝手にキーボードを引き出してキーを叩く。
この際どんなに胡散臭くったって、縋ってやる。そんな投げやりな神頼みがあった。
『フリーダムの行く場所に』
そのまま、どこかにワープなんて思ってはいなかったけれど。送信しても何もおきないことになんだよと思った数秒の後、変化は衝撃として訪れる。
ガクンと揺れて前のめりになって――――――何かに持ち上げられていた。
動き出す。遠くからでもその巨大な兵器の動きは良く見える。
だが、同時に壊れ行く様も容易に見られた。
鎮魂歌―レクイエム―その名の通りに己の鎮魂を歌うかのように壊れ行くその巨大兵器は薙ぎ払い、滅ぼしつくす光を放つことなく沈黙する。
間に合ったのだ。
あとは、そう。
あとはあの人だけ。
それは声のような、けれど音を持たない感覚だった。
聴覚に訴えるのではなく電波のように受信したその感覚を、幻聴と言うにはリアルすぎて一笑にできず、研ぎ澄ますように周囲を伺う。
なんとなく気になったのは、そんな感覚は前にもあったものだったから。地球から海の向こうに見える光を見ながら伝わってきた声。あの時は遠すぎて何もなかったけれど。
周囲を拡大して呼び出す。
「ディステニーだっけ……?」
そうして出てきた色のない物体に、なんでこんなところにいるんだろうなんて言わなかった。
もう一機を相手にしたのがキラなら、こっちを相手にしたのが誰かなんて考えるまでもない。アスランしかいないじゃないか。
彼の強さは良く知っている。
迷いもなく、本気で相対したらキラですら勝てるとは確信がもてない。優しくて、迷いがあるから対等で居られる。
だから僕は人でいられると思うときもあった。
そんなアスランが気にしている彼の顔は知らない。
事情も、ほんの少し聞きかじっただけの存在(ヒト)。
名前だけしか知らないのに、どうしても気になって。どうしても放っておけなくて。だったら座標位置でもディアッカあたりに送っておけばよかったはずなのに、気づいたら匿名になるように態々偽装して、メッセージを送信していた。
『何故、泣いてるの?』
『キミは何処に行くことを望む?』
送信してしまってからしまった、と思う。
(何を聞いてるんだよ僕は……)
さすがに馬鹿かもしれないと少し思う。カガリやアスランに言われまくったその言葉を肯定することは物凄く抵抗があるけれど。
(……これじゃ本当に電波だ)
大戦後、マルキオ導師の孤児院で生活しているときに付いたあだ名がそれだった。口数が減って海ばかり見ているからだとアスランに言われたが、それが何故”電波”に繋がるのかはいまいち分からない。
まあ返信されてくることもないだろう。いくら戦闘に参加できず暇だとは言ってもこんな怪しい電信文に構っている余裕はないはずだ。
それよりも……自分で切り裂いた傷跡のような建造物の裂け目を見る。
行く必要がある。
どうして彼がそんな運命を定めようとしたのか、聞いてこなくては解決はしない。最終的な対決は、兵器を相手にするものではなく人間を相手にするものだ。
気合を入れて、よし行こうとフットペダルを踏み込む前に画面が受信を示したことに驚いて目を開く。
『フリーダムの行く場所に』
馬鹿がもう一人。問いも馬鹿だが、答える方も答えも馬鹿だ。
藁にもすがる思いなのだったら馬鹿だなんていってしまったら可哀想かもしれないけれど。
「そう、君は……」
まだ、戦うことを望むのか。
望むのならそれもいい。連れて行って見てみればいいんだ。
「うん、いいよ」
よっこらせとばかりに人型のマニュピュレーターを動かして機械の塊を掴み上げる。
カガリよりも頑丈だから握り加減はそれほど神経質にならなくていい。ただし、モビルスーツのまま運ぶのではカガリのように引っ張り込むことはできない。飛ばされることのないようにしっかりと捕まえていなければ。
アスラン得意の機体とは違い、人型形態しか取れないフリーダムには少々面倒な仕事だけれど、元々MSは作業用に作られたものだ。羽交い絞めにするように後ろに回りこんでバーニアを吹かす。元々距離はそれほどなかったから、あっという間に切り裂いたその割れ目の中へ滑り込んだ。
移動要塞とは言うが戦艦などとは違い、コロニーに近い。空気もあれば重力もある。だがあくまで移動要塞であることから通路や部屋で構成されたメサイア内で、MSで行けるところはたかが知れている。
突っ込んで飛ばされないように割れ目からある程度の距離を置いてフリーダムを止める。電源が落ちてディアクティブモードになった灰色の機体はディスティニーとあまり大差ないように見えた。
体を固定していたベルトを外し、銃を確認して腰につるす。持ち慣れない、黒光りする銃。弾もきちんとポーチ状のケースに入っているのを確認して吊り下げる。
使うことがなければいい。だが、ここに来た目的を考えれば使うことは必定だった。
一度、開けたフリーダムのハッチから眺めた通路は瓦礫に埋もれ、極近い未来の崩壊を予見させる。その真ん中を突っ切っていこうと、抱えられているディスティニーの肩に身軽に飛び乗る。肩から胸、腹の方へと下り、そのコックピット部へたどり着き。
「着いたよ」
言いながら外に付いている手動の装置でハッチを開けた。