A kingdom of quietness 1-4
陽だまりは気持ちがいい。
ついうとうとしてしまうといつも誰かが……アスランが風邪を引くと怒って起しにくる。
学校でも公園でもアスラン家の庭でもぽかぽかと温かい木の下では睡魔は何時だって簡単にキラを攫って行った。
どこで寝ていたって起こしてくれるのを知っている安心感があるからだ。
その安心感を手放してもう大分経つのだけれど。
……どうして、だろう。
このところの疲れも相まってうとうとと眠りの淵へと意識は引き込まれていった。
中庭は四方を建物で囲まれては居るものの、わりあい広さは確保されている。
日光もきちんと通り、木登りできそうなくらい太い木とベンチと芝生で構成されたそこはロマンチックな場所ではあるが、男子校という場所柄あまり利用されない。
……のだけれど。
その中に、彼はクラスメイトの姿を見つけて苦笑した。
大木の下のベンチで、日の光にすける栗色の髪は天使の輪ができていて、まるで本当に絵画の中の天使のようだ。
「こんなところで寝て……」
仕方が無いなと硝子戸を開けて降りる。
幸い雨じゃなかったから土はあまり付いてこない。上がる前に足を踏み鳴らせばほとんど取れてしまうだろう。
掃除を自分でやるわけではないけれど、やっぱりなんとなくどろどろな床は気持ちが悪い。
自分がわりと神経質な性質であることは自覚していた。
「おい、キラ」
少し遠くから声を掛けてみたがうんともすんとも言う気配はない。
どんどんと近づいて、キラの上に影が落ちてもやはり起きない。
「熟睡してるな……」
よく誰が来るとも分からない場所でこんなにも無防備に寝れるものだと関心とも呆れともつかない感想を得るが、最近は忙しかったのだろうと思い当たって労るように頭を撫でる。
学校全体の纏めをしながらちゃんとクラスの準備にも顔を出しているのだから、当然どこかで無理はでるはずだ。普通はクラスの準備だけで忙しい。
生徒会役員は部活が無いとはいえ、その仕事量が比較にならないことは確かだった。
「……さすがだよ」
転入してきたキラを生徒会長になんて推したのはマキシンだったけれど、そうさせるように仕組んだのは自分だ。
学級委員の特権で転入生には誰よりも先に会った。
よろしく、と笑ったキラに何かを感じたのは確かで、間違ってはいないようで。
「ほんとに綺麗な奴だよな……」
父親の関係でそれなりに顔のいい奴も見たことがあるけれど、ここまで綺麗な人間はお目にかかったことは無い。
長い睫毛。
とても高い、とはいえないけれどおそらく血筋的に考えれば高い鼻。
常に微笑を宿す薄い唇。
すらりとした四肢。
一番目を惹かれるのはその目蓋の下に眠る紫の双眸だろう。
全体的に鮮烈な印象を残すほどの派手さは無いけれど、目を合わせたらきっと忘れられない。
普段は”可愛らしい”が先に立つけれど。
――――――のときはきっと綺麗な綺麗な顔をするのだろう。
吸い寄せられるように指は顔に落ち、唇をなぞる。
そうしてもう少し身を屈めて――――紙一重。
「ん……アス…ラ…ン?」
それはいつもキラと居れば飛んで来る弟の名前でもなく。
唐突に我に返る。
「俺……何して……」
一歩、二歩と後ずさる。
いくらなんでもこれだけ触れられて起きないことはないだろう。
キラが覚醒するまえに踵を返した。
前方から見知った学生が早足に歩いてくるのを目に留めて、シンは軽く手を上げて挨拶の体制に入った。
別段用も無いが、キラの居場所を聞いてみようかとも思って。
「あっ!あんた……」
ドンっ。
ぶつかったのに顔も上げない。すまないの一言もなく、まるで気づいていないようだ。
「なんだぁ……?」
擦れ違ったキラの友人の尋常でない様子に眉を顰める。
シンの友人というわけではないが、キラと一緒の確率はマキシンの次に高く、キラもよく懐いているように見える。
喧嘩とも言えない舌戦の仲裁に入ることの多いこいつは正直あまり好きではない――――――というか得意でない。
マキシンへのむかつき加減とはまた別物で、取っ付き難いのかもしれない。
なんとなくジェイドが駆けてきた方へ足を向ける。
微かに土が零れているからきっと中庭から来たのだろう。
そう思って歩きながら硝子の向こうを見やる。
木の下でぼんやりと視線を彷徨わせているのは。
「……キラ?」
キラの姿を見つけた途端、警鐘がガンガンと鳴った。
何か、あった。
何が、あった。
あの尋常でない様子がキラに関わることであるというのは確信だった。
「あ、れ……シン?」
シンを認めた瞬間のどこかがったりしたような顔。それには幸いなことにシンは気づかなかったけれど、寝起きであることにはしっかりと気づいて眦を吊り上げる。
「あんたこんなとこで何やってんだよ!?」
「あ〜あはははは」
笑って誤魔化そうと試みられても、口の端についた涎が全く全然誤魔化せていない。
最も今更誤魔化したって手遅れだ。
忙しいのは分かる。いくら だからといって手を抜ける人間ではないのだろう。別にそれはいい。
ただこの無防備さに苛々する。
家でくつろいでいるのとは違う。ここは情報を探るために潜入しているようなものなのだ。
いや、そうでなくたってこんなところで眠ってしったら何かあってもおかしくは無い。
イライラのままのほほんとしているキラの胸倉を掴む。
「あんた無防備すぎなんだよ!!」
「え?」
わけが分からないという顔をしたキラの唇に近づく。
呼気が合わさるほど近く、けれど柔らかな感触が触れることはない。
それ以上は近づけなかった。
「……どうしたの?」
この状況でまだ言うかと思うのだが、故意なのか無意識なのか判別できない。
天然というには1年前あの初めて会ったときの鮮烈さがあって信じきれない。
実は全部わかっていてやっていて、天使の皮を被った悪魔なんじゃないかと思う。
「くっそぉ」
「ちょっ……シン?」
「なんだよ!!」
苛立ちのまま声を荒げる。
言ったってどうしようもないのだ。
シンにその手のことで何かを言う資格は無い。シンとキラは協力者といおうか、共犯者といおうか、所詮境遇が同じなだけな仲間だ。
誰を好きになろうが、誰に襲われようが関係は……ない。
息を吐く。感情をコントロールすることは苦手だけれどなんとか収めて、それでも不貞腐れたような雰囲気だけは残って。
「マキシン怒ってるぞ、きっと」
「大丈夫だよ。一応今出来るのは一通り終わったし」
「そーかよ」
「帰ったら引越し準備だね」
この忙しい時に、とぶつぶつ言い出したキラに肯きそうになって顔が崩れる。
「あんた一体なに言ってんだよ!?」
わけわかんねーよと抗議する。
この突飛な言動に大分慣れてきたとはいえ、まだ完全についていけるほどの耐性はない。
「この学校、実はプラントと交流あったんだって」
「へーまぁあってもおかしくはないよな」
なんていったってこの学校は遺伝子研究の大学の付属高等学校だ。宇宙にも多数姉妹校を持つ。
―――――――キラが生まれるより前のメンデルへの就職も確認されている。
そのために此処を選んだのだ。
「でもってこの学校生徒の自立心旺盛なんだね。議長様あてなのに生徒会長名義で招待状出すらしいよ」
「……それって本気で招待状だな」
超多忙な議長様がいらっしゃるとは思わないが、代理くらいは来るだろう。
それも確実に自分たちの顔を知っている人間が。
……厄介なことになるかもしれない。
キラしか知らない人間も、シンしか知らない人間も、どちらもいるからどちらかが避けるのは苦労するだろう。全く分からないのなら知らない振りをするのがいいが、片方へと案内してしまうことは避けるべきだ。
「ついでに、さ」
ニヤリと今度は普段のおっとりさを脱ぎ捨てて笑む。
この顔は絶対的に悪魔だ。
「学会関係者も結構くるっぽいんだよね」
その知らせに息を呑む。
仕事が捗りそうな、そんな予感。
「そっちもぜーんぶ僕の名前で招待状だしてあるから」
これが天然だなんてどうして思えるだろう。
「何か魚が釣れるかもしれないね」
ニッコリと笑みの形につり上がった口の端が頼もしくも恐ろしくも見えるのだろうと思う。
そろそろ戦闘開始の時間だ。