コズミック・イラ70。
世界は混乱のまま戦端を納め、疲弊した破滅への道を正そうと動き出した。
そのきっかけが地球軍でなく、ザフトでもないことを誰もが知っていた。
クライン派、と言うものもいる。オーブというものも言う。どちらも正しいが正確ではない。
どちらにも属さないたった三隻の戦艦とその乗務員、およびその彼らに理解を示した者たちは本来であれば属するものからすれば裏切りといわざるを得ないものだったが、あるものは軍への復帰を認められ、あるものはオーブへの亡命を許可されと寛大な処置が施された。
たった一人。
地球軍から、ザフトから、積み上げられた罪状を笑って受け入れた彼だけは除いて。



moratorium




そこから出てきたキラを待って組んでいた腕を彼女は外した。彼もそれを予想していなかったわけでもなく、驚いた顔は一瞬でいつもの通り穏やかな笑みを作って立ち止まった。
一定の距離を保ったままウンともスンとも言わない。言葉が見つからないのかもしれなかった。
本当は誰にも知られたくなかったのに、どうしてもこの目の前に腕組みをして待ち構えたように立っていた少女には知られずには居られなかったらしい。
泣きそうなその瞳が全て知っていることをキラは知った。
彼女は初めからその決定を知っていたのだ。決定はキラの話を聞く前から、覆されることなく決まっていたということ。
(分かっていただろう?そんなことは……)
彼らには”彼”という存在は美味しすぎて、決して手放してはもらえないことを。
「やぁ。カガリ。」
ほかにどう言って良いのかわからずに、手を上げて笑ってみせる。
それを受けたカガリはいっしゅん堪えるようにぐっと握り締めて震えた拳を叩きつける代わりのように言葉をたたきつけた。
「どうしてキラだけっ!!」
立場的に決定に関わっていたであろうカガリは地団駄を踏みそうな勢いで、今喚く。そうせずには居られない。もちろん機会があったときにもその決定を覆そうと発言はしたが、相手にもしてもらえなかった。父なら違ったか、と思ってみても切なくなるだけで仕方の無いことだ。歳若い彼女にはまだ父のような実績も風格もない。正義が欲望に勝つことは酷く稀だった。
「しかたないよ。僕は少しみんなと違うんだ。」
「何がっ!」
何が違うのか、といわれると少し困る。理由の全てではないにしても、大部分のことに彼女も無関係ではないのだから。双子かもしれない彼女は。
それでもナチュラルである彼女にはキラほどに貴重性はない。いくら双子だとしてもコーディネイトを受けたのはキラだけで、人工子宮から生まれてきたのもキラ一人だ。それにオーブの獅子の娘、というオーブの代表者、という社会的地位が彼女を守る。
だからキラは提出した資料を
――――あのメンデルでみつけたものを――――カガリには見せてはいなかった。
知らなくて良い、知る必要のないことだ。誰にも、何にも、その欲望に近づけさせたくは無い。
「それに、ちゃんと僕にも時間をくれたでしょう?」
「何が……執行猶予なんて!その間に一体なにを決めるというんだ!!」
カガリが言うことはたしかにその通りではあった。彼に時間が与えられたのは使い道が多すぎてすぐに纏め上げることができないからであろう。
プロパカンダにすることか。実験体にでもするつもりか。
その能力を使い、新たな力でも作らせるか。
そんな風に社会的な義務や責任を押し付けるだけ押し付けるのが容易に想像できる。いくら政治に疎いキラだとて分かっているくせに、どうしてそんなに笑って構えていられるのか。
「大体、なにが温情だ!どこが寛大だっていうんだよ!!」
クライン派を名乗るのなら彼らだとて自分たちと同じなのだ。キラにフリーダムを与え、ラクスにエターナルを与え。決行したのが彼女とキラだったとしても、実行犯だけを言及するのは間違っている。
それが政治だと知ってはいたけれど、だからこそそんな汚い世界がカガリは許せない。
「だめだよ、カガリ。そんなことを君が言っちゃ。」
「本当のことを言って何が悪い!」
「君は今オーブの代表だ。」
他の人間ならば何をいっていい、というわけでもないけれどカガリの言った言葉はたとえ非公式の場所であったとしてもそれはオーブの言葉となる。それをこんな議員のいる部屋の前で大声で喚くわけには行かない。
「それにラクスが可哀想だよ。」
はっとしたようにカガリは口をもごもごとさせてキラを見た。
同士の少女はクライン派と名乗る彼らの親玉、と言える立場にあった。初めは父がその上に立っていた。だがその志を継いだ彼女が今はクライン派と言われる彼らの上に立っていた。
双子は彼女が好きだった。友達として、仲間として大切だった。
だから必然的に彼女まで人くくりにする言葉はいけない。
「カガリ。少し落ち着いて。」
常の彼女らしかぬ合わない視線を捕らえるように一歩踏み出して。怒りに震える拳をそっと包めば我慢しきれないかのように飛びついてきた。
「お父さまもっいらっしゃられないのに……おまえも居なくなるのかっ。一人じゃないってきょうだいも居るって言ってたのにっ……」
「キサカさんがいるし、アスランもオーブ行くんでしょ?」
「そうだけどっ……」
でもキラは居ない。それでもどこかで笑っていて自由に連絡が取れるならば別だけれど、そうでないのなら寂しい。そうであっても寂しいけれど。そんなのは嫌だ、と。
キラのいまだ地球軍の軍服に包まれた肩をじわりとぬらす。その温もりが”彼”がそこにいることを自覚させた。まだ、自分はここにいるのだと。
「もし、君が僕を好きで居てくれるならきっと探して。」
幼馴染には頼めない。今からではもう遅い。
隣を歩いてくれた少女にはこれ以上の負担を掛けられない。
彼はきっと徹底的にやれば一生見つからないように暮らせるだろう。今は情報化の社会だ。彼の得意なものでどうにでも操作できる。それだけの能力があることをキラはもう知っている。
見つけるには双子の絆を当てにする、とかそんな非科学的なことに頼るか、もしくは彼自身が足跡を残すかそのどちらかでしか思いつかなかった。
うっかり、ということも彼ならなくもないかもしれないし、それを見つけることも彼らの情報網を持ってすれば不可能ではないかもしれない。けれどそれは不確定な未来であって。
そして彼に自分から出てくるという選択肢は無かった。
「なんでっ……」
探してしまったら、見つけてしまったら彼は社会に姿を見せないわけにはいかないのに。
その先にあるものが決して普通の生活でも、気持ちの良いものでもないことは分かっているだろうに。
「だって寂しいでしょ?」
誰が、と言わず。
彼が、と言わず。彼女が、と言わず。
寂しいと、ただ。
彼も、彼女も。
基本的に寂しがりやで人間が好きな二人はきっと確かに耐えられないだろう。
守ってきたものも、手に入れたものも、全て手放して生きていくなんてさびしすぎる。
けれど行かなくては、そんな風に笑っていられるかわからなかった。
少なくともこの混乱がもう少し落ち着くまで。
きっとそれは確かにキラにも示された”温情”と言うものなのだろう。だから。

「バイバイ。」

こくり、と肯いた双子の金色の頭をくしゃりと撫でて、軽い抱擁を交わし歩き出す。彼女は追ってはこなかった。ただじっと見つめる視線が彼の後を追う。
その呪縛は建物から出たところで途切れた。つながりも一緒に。そんな気がした。

そして誰にも知られずに、ひっそりと、ただ彼はその日に姿を消す。



―――――――――――――――猶予期間は彼が世界に見つかるまで。