荷物もほとんどない手ぶらな格好でシャトルを降りた青年は空を見上げる。
作り物の空は彼のしたちょっとした仕掛けの所為で怪しい気配を見せていて。
「どうしようかな……」
忙しく人が行きかう空港前で彼の呟きを聞きとがめるわけが無い。
もうずっとそんな生活をしていたけれど、見つかりそうになっては隠れて定住は難しい。そんなスリルを楽しまないわけでもないけれど。
「見つけてくれるかな。」

――――――――――もうすぐ一年が経つ。



moratorium




演習で軍の基地まで行っていたシンは一人慌しく人の行き交う大通りを歩く。エレカを使えばいいのだが、生憎と自分の物は持っていないし空いたものが見つからなかった。
天候制御装置の故障で予想の出来ない空は時折思い出したようにポツリと水滴を零してくる。それに閉口した教官はさっさと終わりを告げた。今日の分はまた別の日にまわされるだろうが、こんな日にやっているよりはずっといい。
明日からは休暇で、同じ授業を履修している奴らはみんな直接家に帰るといっていた。
シンには帰るところは無い。……一瞬、オーブが頭に浮かぶが、帰っても待っている人はいなかった。ましてや一日二日、三日の休暇で帰れるわけも無い。
そんな風でもくもくと歩きながら行きと同じように通り過ぎようとしたエア・ポートの前。
ふ、と視界にはいったものにシンは目を向けた。
何の変哲も無い人の姿だ。ただぼんやりとベンチに座りこんで肩がやや濡れている。
今はやんでいるし、いくらそんなに降っては居ないとしても不自然に目を引いた。
(何してるんだ……?)
調子が悪いのだろうか。それとも誰か人を待ってたりしているのだろうか。
違うだろ、と首を振っても気になったものはしかたがない。
放って置けるほどシンは冷めた性格ではなかった。

「……そんなところで何をしてるんですか?」

そろそろと上げた顔がシンを認めにこっと笑う。
いくつか年上かもしれない。ぼんやりと考え込むように座っていた時はそう思ったけれど、顔を見ると同じ歳かそれ以下か。童顔だと言われていたシンと精々同じくらいにしか見えなかった。
表情一つでそれほど印象が変わることに無意味に驚く。
「隠れてるんだ。」
拍子抜けしそうな答えにシンは間の抜けた顔で考える。
遊んでいるんだろうか、それとも犯罪者なのだろうか。隠れる、というその行為はどちらかしか思い浮かばなかった。
前者ならばいったいいくつだ、と思うが後者のようには到底見えない。こんな犯罪者がいたら世界はみんなだまされるだろう。
「こんなところで?」
「ああ……えっと正確にはどうやって隠れようかなって考えてるところ、かな。」
頼りなげな返事はやはりわけが分からなくて話しかけておいてなんだが、シンは頭を抱えたくなった。
ぽつり、と来た水滴に舌打ちを零す。
本格的に壊れたらしい。嵐など普通には設定されていないけれど、それくらいの気象が起こっても可笑しくは無い。生まれてからずっと去年まで地球で過ごしていたシンにとって機械で管理された世界はどうにもなれないもので、暗くなりつつなる空にそんな不安を覚えた。
空から青年にまた視線を移して、ぽえぽえとした微笑にやっぱり放っておけはしないと思って。
「こっち。」
仕方ないと手を引いてもともと帰るはずだった道を歩く。戸惑った様子で、それでも止まることなく付いて来る青年を確認して足を速める。出来ることなら濡れたくは無い。制服のクリーニングは機械に放り込むだけとはいえ面倒臭いことに変わりはないのだ。




今の時間はまだ普通の授業は終わっていないようで
―――もちろん途中で時間を確認しはしたが―――部外者を連れていても静かなまま、何かを言われることは無かった。
すたすたと他のものには目もくれず寮に直行したシンの前にIDカードを通せば簡単にドアは開いた。
誰にも見咎められずに帰り着いた部屋は殺伐としていてそっけない。
綺麗に片付いているわけではない。本来そう掃除や片付けが得意なほうではないシンの部屋が雑多としていないのは荷物自体が少ないからだ。
「ここ、は?」
「俺の部屋。」
簡単に答えてレストルームの棚をあさり出したシンを目で追った彼はぼんやりと首を傾げる。
普通のザフト兵が着ている緑なり赤なりのそろいのエンブレムの入った軍服だが、シンの着ているものはそれとはまたデザインの違ういわゆる予備軍の制服だ。
「……軍事アカデミー?」
今やっと気づいたような台詞にまたしてもシンは脱力しそうになる。
ここに入ってくるまでに見て分からなかったのだろうか。
普通それが軍事関係になれば物々しさも施設も大分変わる。その制服を知らないとしても雰囲気でだいたいわかるもののはずだ。
見つけたタオルは一枚だけで、自分と彼との濡れ具合を見比べてあっさりと向こうに貸すことを決める。
「ここは安全だから。」
安全、というものが本当にあるのかどうか疑いはある。むしろ軍などという場所は争いごとに近くてつまりは危険に近い。それでも守りがある、という意味で安全だと言って良い。
「木を隠すなら森の中って言うしっ!」
何を必死になっているのか、慌てて言ったシンにくすりと彼は笑った。
「ことわざ、知ってるんだね。」
珍しい、と。
それこそ珍しい反応だった。
ルナマリアにはほとんど通じない。レイにすら時々しか通じないというのにこのお世辞にも頭のよさそうには見えないぽえぽえとした青年が知っているのは何故だろう。
「キラっていうんだ。」
唐突なそれが何を示すのか考えて、次の言葉でそれを知った。
「君は?」
「シン・アスカ。」
彼の口元が綻ぶ。
「ああ。名前もちょっと日本風だね。」
考えたことも無かったことを指摘されて当の本人はあっけに取られるばかりだ。
そんな風に名前を考えることはなかったし、そもそもシンも自分の名前の意味まで知らない。
「僕のも漢字に変換できるでしょ。」
言われて見れば確かに、と『綺羅』『吉良』と変換しだした頭を軽く振って追い払う。
今問題にすべきはそれではない。彼をわざわざ連れてきたのはそんな話をするためではなかったはずだ。もっとも明確な意図などもってはいなかったが。
「で、あんたどうする?」
「……へ?」
すっかり馴染んだ様子で、手渡したタオルを遠慮しいしい受け取った彼は
―――――ただしお互いに突っ立ったままではあるが―――――あまりにきょとんとして見返してくるのでまさか自分で言ったことを忘れたんじゃないだろうな、という思いがちらりとよぎる。
「俺一人部屋だし、隠れるならちょうど良いと思うんだけど……」
もごもごとまるで言い訳でもするように煮え切らない言葉になっていくのは、その言葉の不自然さに気づいたからだ。たまたま偶然会った赤の他人しかも自分の家も無いような軍事アカデミーに住居しているような人間が訳ありかもしくはちょっと可笑しいんじゃないかと思えるような人間に簡単に居場所を提供しようか、などというのはあまりに胡散臭い。戦争がとりあえず終わったとはいえこのご時世にそんなおいしいはなしはない。自分の身くらいは自分で守らなければいけない。
その前にこうあっさりと着いて来た彼にそんな考えがあるかは甚だ不安だということに気づかないまま、変に思われたかと慌てるシンに彼は言った。
「確かに意外性を突いてて見つからないかもね。」
くすり、と笑った顔が鮮やかに映って。
「でもそうするとしばらく置いてもらうことになるけど、いいの?」
「別に見つからなければ大丈夫だろ。」
ありがとう、という言葉が照れくさくてそっぽを向けば笑う気配がする。
それは鼻につく笑い方でもなく、からかうような笑い方でもなく、意外と心地の良いもので。
ただ、なんとなく放っておけなくて、手放せなかっただけ。それが立派に規則違反だなどということは都合よく見ないことにして。
(そう。要は見つからなけりゃいいんだよな……)
噂好き、詮索好き、おせっかい好き、と今のシンにとって三拍子もそろったやっかいな同期生が今いないことをこっそりと感謝した。