暗い視界の中で耳鳴りが酷い。
気遣う声も、叫びも、足音も、全て爆音にかき消される。
その後は一瞬。
空の青と緑と白。
呆然と見る中で炎がチラチラと燃えて、木が倒れて。
本来曲がるはずの無い方向に曲がった腕―――――それに付くあの色は血だ。
気づいた瞬間叫び声を上げる。
moratorium
飛び起きる。
荒い息を肩でついて手を伸ばしてシンは現実を確かめようとしたが、触れた布の感触はただ冷たく無機質な手触りを返してくるだけだった。
「くそっ……」
寝起きで掠れた声は水分を求めたが、起き出す気力は無かった。脱力感と倦怠感とが付きまとう、時計を確認する気も起きない最悪な目覚めだ。
地球のように太陽が時間の経過を知らせてくれるわけでなく、それでも疑似システムが作られて回っている空もまだ暗く、窓から光は漏れてこない。電気をつける気にもならなくて嫌な汗をぐいっとシャツの襟を引き上げて拭った。
「でもまだまし……か。」
悲鳴で目が覚めなかっただけ上等だ。
前は夢などというものとはトンと縁の無い人間だったというのに、今は色々見る。そのどれもが悪夢といって申し分ないもので、先刻のような家族の死からMSのパイロットを殺すところまで何パターンかの種類があった。
仕方が無い。一瞬で、一気に、目の前で家族を失ったという経験はなかなか衝撃的で忘れることなどできはしない。
あの空を飛ぶ機体と爆音と。その後のことはあまり記憶にない。気が付いたら船の中で、コーディネイターという理由から地球ではなくプラントへ保護されることになった。
だから当然機体も幾つか見たのだろう。だが、憶えているのはあの白いMSだけだ。復讐の象徴。
(あれをこの手で討ったら……)
変わるだろうか。終わるだろうか。
夢でなく現実で、生きているかも分からないあのMSのパイロットを殺したら。
「っ―――――――――――――――!!」
鋭い、細い絶叫。一瞬自分の悲鳴かと思った。
でも自分は起きている。だから違うとパニック寸前の頭の中で妙に冷静な部分が言う。
ならあの悲鳴は誰だ?
考えるまでも無い。よくよく思い出してみれば少し前から寝息はもう一つあって、だからしばらくはこんな目覚めもなかった。ここにいるのはシンと彼しかいないのだ。
「おい、大丈夫か?」
反応の無いことに不安を駆られ、手探りで人の温もりを探す。
よほど息を殺しているのか、息が細いのか。いっそさっきの悲鳴で呼吸を止めてしまったのではないかと心配になるほど静かな青年をやっと探し当てたシンは必死に揺さぶった。
「キラ、キラ、起きろよ。」
「ん、」
僅かに身じろぐのに安堵しながらそこまで過剰な反応をしてしまうのは先程まで”死”の夢を見ていた所為だろうか。暗闇に慣れてきた目は紫の目が開いたのを感じ取り、流れる汗に気づく。
ぼんやりとした顔で頭を振りながら身を起こすと徐々に焦点が定まってやがてシンを認めてきょとんとした顔ができた。
「うなされてたけど起こしちゃまずかった?」
「ああ、ううん。ありがとう……ってごめん。起こしちゃった?」
「いや……」
首を振るのは嘘ではない。タッチの差とはいえ自分の過去夢に飛び起きたのは一寸前だ。
シン同様どこか夢見の悪さで重苦しそうに動くキラを見て。
「あんたも悪夢なんて見るんだな。」
しみじみとこぼれ出た言葉にどういう意味だと胡乱気な視線を向けてから、キラは”も”という言葉を捕らえて首を傾げる。
「君もうなされるの?」
からかうわけでなく、嘲るわけでもなく、純粋に疑問という形で。
それはそうだろう。以前ならともかく今そんなことを言って軍に入る人間は少ない。地球軍ならさておきザフトは特に。狙われはしたものの結局プラントは戦地にはなっていないのだからそもそもそういう事例が少ない。
家族を亡くしたからといってこの歳になって悪夢で飛び起きるなんて恥ずかしいと、別にと流すのが普通なのだけれど答えてしまうのは多分相手も同じように飛び起きて、同じような夢を見たと予測できるからだろう。
「……ちょっと前、家族が死んだんだ。」
もうすぐ一年たつというのを『ちょっと前』と言って良いのかは甚だ疑問ではあったが、シンにとって時間的距離はそれくらいだ。話す相手は知るはずが無いのだから問題は無い。
「俺の目の前で。俺だけが助かった。」
端的な事実と結果。コメントに困る途切れ途切れの言葉はぽつりぽつりとしたものから次第に感情とともに高ぶっていく。話すことに気を取られて向かい合った顔が比例するように強張っていくことに気付かずに。
「オーブにいて、モビルスーツが飛んで、光が凄くて……何もできなかった……目の前で、一瞬で吹き飛んだっ!!」
「うん。怖かったね。」
そっと肯く仕草に妙な安心感を得る。
触れるわけじゃない。だが言葉がそれ同様の効果がある。
「僕はその逆、かな。」
自嘲気味に笑って言われる悲鳴の、悪夢の理由。
「僕が殺すんだ。爆発音と光と、ナイフとか銃とかじゃないから実際にそんなはずがないのに手が赤い気がする。」
奇妙な言葉。
まるで始めてあった日に、ありえないと切り捨てた可能性の一つのような。だが軍人であったのなら、それは犯罪者とはまた異なる。
どことなく大人びた、シンが脱力するほどギャップを感じた彼の顔。それももしそうだとしたら納得がいく。隠れている、と言った意味もなまじ間違いでも冗談でもないのかもしれないと思えるだけの要素がある。
ただだとしたら一体どの陣営だったのだろうか、と思うが軍人だったというにはあまりに細い体といい、何処につれてこられたのかも分からなかったことといい、あまり彼に当てはまる選択肢ではないような気がする。彼が殺人鬼の犯罪者、と思うよりはよっぽど有り得そうだが。
もんもんと突然与えられた情報に考え込んだシンの沈黙に何を思ったのか今度もまたとっぴな言葉が掛けられた。
「……怖い?」
「何が?」
一体全体どこからその言葉が出てきたのか分からずに『は?』とまぬけな応じ方をすればあっけに取られた顔でキラもまた返す。何が、という目的語の無い言葉はおそらくキラを示しているということは想像が付いたが、はっきりいってこの自分より弱そうなこの人を怖がる理由はどこにもない。
「君も寂しいんだね。」
カッと頬に血が上るような気がした。
馬鹿にされた。
嘲笑された。
同じだと思ったのに。
そう思って睨み付けたシンの視線を取って緊迫した闇に不似合いな声がこぼれる。
「ごめんね。ちょっと意地悪だったかな……でも図星でしょ。」
くすくすとシンの反応に邪気無く笑って、険しい顔を見てから困ったような笑みになる。
「だって寂しくない人はいないよ。」
家族が死んで、家が無くなって、国が半分瓦解して。
新しい生活に不満は無い。それなりに仲の良い同僚とそれなりにレベルの高いアカデミーと。
すべてそれなりにやっている。
ただどうしても目の前で起きた悪夢は抜けなくて、だから一抹の寂しさが抜けきらない。
「コーディネイターって十三で大人だって言われるけど実際はまだ子供だよ。能力的にはそうだとしても、でも僕らはまだ子供で寂しいと思うことって当たり前だと思うんだ。」
人に悟ったようなことを言いながら本当に寂しいのは……
もしかして、と思って覗き込んだ瞳を見て。
衝動的に口付ける。
見つけたのは夜の闇の暗さではないと確信できるような孤独と陰り。
どれもシンの比ではない。寂しくて死んでしまうよ、とウサギが泣いているようなほど深いそれ。
「……え。」
我に返って驚いたのはそれをしたシンの方で。巨大な紫の瞳が目の前にあって驚く。自分は今何をした?
相手は男だ。それにそういう意図でもってつれてきたわけじゃない。シンはいたってノーマルだったはずだし、これまで男にそんな衝動を感じたことなど一度も無い。
それが、それが、だ。
ばっと飛びずさって赤くした顔で混乱をそのまま顔に出したシンに向かって何をするんだ、と怒るわけでもなく。
「ほら、君もやっぱり寂しいんじゃないか。」
笑いながらトンチンカンな台詞を言ってくれるキラに顔の赤味を抑えて眉を顰める。
「キスは寂しいときにそれを慰める一番の早道だよ。」
「……普通は違うと思う。」
「そう?泣いてるとよく幼馴染がしてくれたよ。」
この青年に会ってから幾度となく思ったことだが、今度こそ、本当に頭を抱える。
どうせ暗闇ではっきりと見えはしないのだ。
(なんだってそんな子供みたいな思考をしてるんだ……)
今時子供だってそんな騙され方はしない。
「あんたっていくつなんだ?」
心底疑問だ。悟ってるくせにそういうとこが酷く幼い。アンバランスな青年。
第一印象は年上。すぐに反転して今では精々同じ歳といったところが妥当か。
「顔はどう見たって同じ歳か下くらいに見えるのに妙に悟ってるよな。」
「うわひどっ、君よりは上だよきっと。17だもん。」
「……年上?」
「なんか文句でもある?」
「いや……本当に?」
あくまでも懐疑的なシンに今度こそキラはへそを曲げた。
「あーなんかもう朝っぽいね。」
気が付けば朝日を模した光がカーテンの向こうからこぼれてくることに気付いて子供のようにそっぽを向くことをやめたキラがこきこきと首をまわして起きる体制をとった。
時計を確認すればもう7時を指していていつもよりは少し早いが寝なおす時間は当然ながら無い。
睡眠時間が少ないというのはキラとは違い一日をアカデミーの授業で過ごすシンには正直辛い。
「……大丈夫?」
「慣れてるし大丈夫だよ。」
シンも起きだしながら今日のスケジュールを思い出して軽く肯く。
情報処理の時間には寝ていても問題ないだろう。多分。
実技科目は午後にシュミレーションがあるだけだ。
「それよりあんた食事どうする?」
ただでさえ朝は食が細いことをここ数日で知っていたシンは寝覚めが最悪な今日はどうするのかと問う。
まさか食堂に連れて行くわけにもいかないのでシンが食事を運んでくるしかないのだがほとんど食べないので捨てるのに今度は苦労するのだ。まさかそのままダストボックスにぽいっというわけには行かないし。
「食べられそうなのよろしく。」
「了解」
着替えて出た扉の外であくびを一つ零した。