檻 -オリ-
3.調停者
食事だと言った声が聞き覚えのないものだということは考えるまでもなくすぐに知れた。
あの女ではない。声からすぐに分かるほど違う。
女にしては低く、男にしては高い。声の調子から察し、檻の中から顔を上げてのぞきこんでやればおよそ軍人のイメージとは掛離れた小柄な少年の姿があった。
女のように可愛らしい顔立ちをしているが、髪は短いし着ている軍服の上着は青くズボンをはいている。
振り向いてかち合った瞳は紫で――――――同じ色だ。
「へーお前」
気付いてニヤリと笑みを向ける。
視線が合うということはきちんと正視しているということで、それにしては険が無い。
そいつの視線は逸らされずに真っ直ぐに迎えていた。
「怖くないの?」
口元に皮肉な笑みを浮かべながら聞くけれど、そんなはずがないと思っていた。見るからに線が細くて軍人らしくないこの少年ならばおびえても仕方がないかなどという気さえした。自分が怖い自覚などはないが、この暗い檻に囲われた人間は奇獣じみて怖いのではないかとふと思った。
だが。
「何が?」
きょとんとしたように平然と返されてこっちが困惑する。
なんで、なんて理屈は無い。ただどいつもこいつも恐怖か敵意の眼差ししかよこしてこない。
こっちに言わせれば独房に入れられて銃もナイフも取り上げられて一人でいる捕虜のどこが怖いのか理解に苦しむのだが。
「俺、コーディネイターだぜ?」
自分で言っていて理由になっていないとは思うのだが、それをナチュラルの少年に指摘されるとは思ってもいなかった。だからこその問いかけに少年は困った顔をして思いもよらない答えを返した。
「だって僕もコーディネイターだし。」
「は?」
思わず間抜けな声が零れる。
(……コーディネイターだって?)
地球軍にコーディネイターが居ないわけじゃないとは知っていた。親が議員だけあって情報は豊富に入る。でも少なくともこんな下っ端をやるような人間がコーディネイターだろうか?
コーディネイターならば持ち前の能力で要領よく上へ上っていくはずだ。いくら若いとはいえそんな風にくすぶっているわけもない。そもそもそういう奴がいるのだと知っていただけで実際にいるのだとは思っても見なかった。
―――――裏切り者のコーディネイター――――――
もしそれが本当ならこの穏やかに視線を合わせてくる少年がそう呼ばれる者だと思い当たりぞっとする。こいつには似合わなすぎる呼称だ。地球軍なんて呼称も当然似合ないけれど。
なんで、とか。どうして、とか。
考え込み始めたのがわかったのか。
「とにかく食事持ってきたんだけど」
再度困ったように言われたことに動きを取り戻し、とりあえず差し出されたままのトレーを受け取った。
待っている間、少年は静かなままだった。相変わらずの自然体で、警戒心がまったくない。まるでここから逃げおおせることも彼を殺すこともできないかのように。屈辱だ、と思いこそすれ好感情など持つはずがないのに、なぜか悪い気はしなかった。ただずっと視線が注がれるのが分かる。
「ごちそーさん」
食べ終わった食器を前に育ち盛りの青年に一日一食この量は少ないだろうと思いつつ、両手を合わせて声をかける。数日ならば食べなくても生きていられるし、動けるようにも訓練されているから問題はないがお腹がすくものはすくのだ。
「にしても今日は女の子じゃないんだな。」
ミリアリア―――名前を呼ぶことは許容されなかったからそう言ったが、それで十分伝わるはずだ。
地球軍の戦艦にそんなに女の子と呼ばれるような奴がいたらそれはそれで問題だ。コーディネイターに比べてナチュラルの成長は遅い。人口的な問題もあるが、自然地球軍にはナチュラルでは子供と呼ばれるような自分たちのような年頃の奴は少ない。若くても20代前半というところか。
「ミリアリアの方がよかった?」
やわらかく響いていた声が幾分か硬くなる。
気づかなかったわけではないが、あえて無視して言葉を続けた。
「まぁ男より可愛い女の方がいいっしょ?」
お前ならまた別だろうけど、と言った言葉に眉をしかめる。女の子が好きな俺でもなまじな女より可愛いと思えるこいつの顔に自分で自覚がないわけではないようだ。もっともこいつに言わせれば女顔であるといわれているに等しいのでうれしくないという反応だが。
事実、こいつの顔は可愛くて、男と女の差を差し引いても価値がある。
それはザフトでエリートと呼ばれコーディネイターの中でも恵まれた能力と家柄と容姿を与えられたと言われた彼らと同じように。
「否定はしないけど……」
軽いと断言は避け、考えは人それぞれだと彼は言った。
その割りに語尾がはっきりとしないのは続く言葉があるからだ。
「気をつけていたほうがいいよ」
「何を?」
柔らかく忠告を下す少年に興味半分、揶揄半分に問いかける。
気をつける「もの」も「こと」もこの檻の中には存在しない。いい意味でも悪い意味でも。
忘れてでもいるように彼女と目の前の彼以外には俺の目の前に姿を見せない。
「何をって言われると困るんだけどね。」
明確な答えは言ったこいつも言いかねたように口にしながら、でもひどく真剣に怖いくらい静かに。
「君のせいじゃなくてもミリアリアが傷つくことがあったら多分……」
コツコツと遠ざかっていく足音。それに合わせてカシャカシャと食器のものであろう物を合わせる音が聞こえた。
少年の台詞の最後は聞き取れなかった。だがなんとなく想像はできる。
――――――許さない、か。それとも容赦しない、か。
おそらくはそんなような脅しの台詞。まったくもってさっきの奴には似合わない言葉だ。
だが奇妙な迫力はあった。怖い、のとは違う。目を惹かずにはいられないような言葉が出ないような人を圧倒する力だ。
ずるずると檻の中、唯一の物ともいえる粗末なベットにもたれかかる。
「つーか誰だよおまえ……」
聞き忘れた名前に後悔を覚える。
名前を聞いて誰であるかなんてわかるほど全ての人間を知っているわけではないし、ここではデータベースにも入り込めないから何者であるか調べようはない。
だが。
(また、来るか……?)
知りたい、と思った。
何故こんなところにいるのかとか。
どうして裏切り者と言われる立場でザフトの俺の前であんなにも平然としていられるのかとか。
とにかく。
知ってしまった少年の不確かな存在がいったい何であるのか。
会えるかどうかはわからなくても、考える時間ならたくさんあった。
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戦艦という巨大な檻に囲われていた少年の存在を彼は今知る。
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