檻 -オリ-
8.宴前夜
体内時計がどれくらい正確なのかわからないからそれが本当にそうであるのか自信はなかった。
朝はキラの足音で目が覚める。そして彼が視界に入る前に起き上がって、ずっと起きていたふりをしてよう、と片手を上げて挨拶をするのだ。
妙な強がりは余裕があるのだと周囲に示す習性で、特に深い意味はなかった。弱みを見せたくない、というのとも違う。
だが――――――キラが来ない。
彼の定位置である目の前の椅子は空のまま、今日という日の一度も姿を見せていない。というよりストライクのパイロットの話をしたのを最後にキラに会っていない。あのときの表情や台詞よりも去っていく足音が強く耳に残っている。
「なんだっつーんだよ。」
ベッドの上で一人ごちて鉄格子から天井へと向きを変える。
情報が入ってこないことが苛立たしい。
人が来ないこの場所は音からも知ることもできなかった。
軍艦であっても人の口に戸口は立てられない。看守でもなんでもそこに居るだけで雰囲気は伝わるし、交代の時などはおそらく何かしらの会話があるだろうに、肝心のそれがいないから本当に何も分からない。
「ちゃんと言っておけってーの。」
そんな義理がないことも、そんな義務がないことも知っているけれど。キラはディアッカを捕虜というより客かなにか定義できないもののように扱うから。
それでも。
「捕虜と看守だもんな。」
どんなにキラの腰が低くったって力関係は真実変わるわけじゃない。
分かりやすいようで、地雷を踏めばふいっと掻き消えるキラを捕まえることはできずに結局のところ一方通行の感情でしかない。
「まさか本当に地雷を踏んだからとかじゃないよな……?」
まるでそれを恐れるような自分に笑う。
欲しいのは食事か、時間感覚か、情報か、話し相手か。
あくまでも『キラ』がほしいのだとという考えにたどり着かない固執した思考に苦笑する。
「俺もいい加減諦め悪ぃな。」
―――――――――認めてしまえよ。
別に好みのタイプと外れていたからってなんだ。
可愛い女の子じゃないのがなんだと言う。
惹かれるのは、気になるのは、正直にただあの目が好きなのだと。
その可笑しさに『恋』という名を付けてやれ。
気がつけばいつもの足音が聞こえていた。
眠っていたわけではない。閉じていても開いていてもあまり代わり映えのしない目を丁度閉じて居ただけだ。聴覚を研ぎ澄ますなら視覚を閉ざしたほうが集中しやすい。
「遅かったな。」
身を起こしてキラが完全に視界に像となって結びつく前の第一声がそれだった。
薄暗がりの中で姿を確認するキラと目が合い彼はうん、と言った。
「ゴメン。ちょっとね。」
どうやら腹時計は正確に動いていたようで遅かったのは確かならしかった。
申し訳無さそうに微笑むキラはいつものように食事のトレイを差し出して、自分の椅子に浅く座った。
その笑みの中にいつもとは別の危うさを感じ取って知られないように眉をひそめる。行動もどことなく落ち着かない。
受け取った食事のトレイを膝においてもう少し観察してもそれは消えることがない。
「何かあったわけ?」
顔も見ずにスプーンを口に運びながら興味無さそうな風を装ってぞんざいに問う。
びっくりしたようにキラは目を丸くして檻越しにディアッカを見た。
イザークとはまた違うが隠し事や嘘が苦手なタイプなのに話さなければわからないとでも思っていたのだろうか。あまりにも普段通りな反応にちゃんと隠せたと思っていたに違いない。
「あったっていうか、これから始まるんだ。」
ふ〜んと気のない返事をやはり返してまた一口スプーンを口に運ぶ。それを噛んで飲み下してから。
「まっ俺が飢える前に帰ってきてくれよ。」
ひらひらと口に運んでから皿の中の何かをすくう前のスプーンを振って、また口に運ぶ。
「にしても俺を乗せたまま一度じゃなくまた戦闘とはね……ホント変な船。」
止めの一個度に固まっていたキラががっくりと肩を落として。
「……なんで分かっちゃうかな。」
困ったような顔で見上げてくるキラにスプーンで彼の目を示して得たりと笑う。
「あんたの顔は正直だからな。嘘ついたり騙したりするの苦手だろ?」
くるりと回したスプーンをキラに向ける。
嘘を吐かなくても良いようにそうやって笑ってキラはごまかそうとする。
「そんなに顔に出てるかな……?」
納得いかないというように首をかしげ聞いてくる。
その様がもう素直で、嘘には向かない。これを演技でできたならたいしたものだ。
けれどキラのこれは確実に天然だ、というのがディアッカの認識だ。
「ま、気楽な顔って感じじゃないしね。」
それだけじゃないけれど。
それで、と促すように瞳をあわせれば。
「本当はさよならを言いに来たんだ。」
一つため息をついてからあの笑みを浮かべてどこか淡々とキラは言った。
ぞくりと背筋を這う冷たさが襲うけれど、冷静を装うようにただ聞く。
「僕は地球軍じゃない。この船も今はその指揮下から離れてる。」
初めて知った事実にいつ、と思った。なぜ、と思った。
じゃあ一体全体これは何なんだ、と。
けれどそれを口にも顔にも出さないよう押さえ込んで、キラの言葉を妨げないように続きを待つ。
「でもザフトでもないんだ。」
確かにキラの考えは異端だった。
どこにも属さないような、誰も敵としないような。
「敵じゃないけど味方でもない。明確な敵はいないけれど正確な味方もいない。向かってくる人がいたらそれが目下のところの敵なんだ。」
初めはそうだったはずだ。
戦争というものの根っこはそうであったはず。ナチュラルが、地球軍が、核を撃ったから応戦することを決意しプラントを守るため、地球を守るため、敵対関係が生まれた。いまや完全にナチュラル対コーディネイターという形になって。
それが、いつのまにずれていたのだろう。
キラの言葉を異端と捕らえてしまうほど。
「僕と君の道は多分交わらないから。」
そう結論でまとめたキラは鉄格子越しに可能な限り近寄って。
「お別れだよ。」
一瞬、だけ。
二人して乗り出した冷たい鉄格子越しの耳に息が掛かりそうなほど近く、顔が近くにあって。
気を飲まれた。
「……んだよ。」
すり抜けて行った相手を追っても精々鉄格子から腕の分だけが出るほどで、その一瞬の遅れで腕も袖もどこもつかめなかった。
残ったのは記憶に焼きつく真っ直ぐに見つめる唯一の同じ色の瞳。
「勝手に決めるんじゃねーよ。」
カシャン、と。
殴りつけた鉄格子はピクリともしなかった。
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まだ認められない感情を持て余して。檻の中の少年は拳を握る。
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