檻 -オリ-
9。叛逆
手の痛みにも気づかないままディアッカはしばらく鉄格子を殴りつけたままの格好でいた。
冷たい金属の感触で手が麻痺するほどに長い時間。ピクリとも動かないディアッカはもしこの捕虜房に監視カメラがあれば不振に思われただろう。だが、キラの居ないここには誰も居なくて。彼にそれを指摘する音もなかった。
それが聞こえてくるまで。
どこか扉の開く音。次いで聞こえてくる一定のリズム。
―――――――足音だ。
だがキラの音とは違う。鉄格子の一歩手前、通路とそこをつなぐ扉の外側で迷うような躊躇いが一瞬あった。はっと顔を上げたディアッカは警戒心を取り戻して鉄格子から手を放す。
コツ、コツ、コツ。
小さなはずの足音。今はもうキラの時ではあまり意識しないが、静かな空間ではよく響く。
コツン。
暗がりの中で、ディアッカのいる檻の前で止まった足音の主が見えてくる。
「おまえ……」
現れたのはキラと同じデザインのピンクでこっちはスカートになった地球軍の軍服を着た女。見覚えのあるその姿はおそらくキラがいつもここにくる理由。
「出て。」
彼女――――ミリアリアは緊張したように一言だけ言って鉄格子の扉の鍵を開けた。
出るべきか、留まるべきか迷う。
護送や尋問だというのなら従わなければまずいが、キラの様子からして戦闘前なのだろう。そんなときに捕虜の面倒まで見てくれるとは思わない。しかも地球軍ではないとキラは言っていた。なら自分の今の立場は捕虜とはまた違うのではないかと思いつく。
なんにしろ情報はあまりに少ない。
「早く出なさいよっ」
動かないディアッカに苛立ったように一歩だけ踏み込んで投げつけられた赤いパイロットスーツに目を見張る。
(どういう意味だ……?)
さっきのキラといい、この女といい、一体全体何をしたいのか。
「おい、一体なんだって言うんだよ。いきなりこんなん普通じゃないぜ?」
この戦艦が変なことなんて重々承知の上で問う。
白々しいなと我ながら思わないでもないが、出るより先に情報が欲しかった。できることならここから出たくは無い。変な意味でなく、もちろんもっと対応のいい場所がいいに決まっているが、どうせ捕虜のままなら変わらないのだ。
「地球軍が攻めてくるんだもの。それにあんた乗せておいたってしょうがないでしょ。」
キラの手間が増えるだけで、と小さくつけられた言葉を聞きつけてなるほどと思う。
理由を知っていたのかどうかはわからない。だが、ミリアリアは彼女の代わりにキラが捕虜の世話をしていたことを知っていたらしい。
だからか、と思う。
今になって別れだけ告げに着たキラ。だがキラ自身がこの戦艦を離れてどこかに行くわけではない。
行くのは……
(俺の方かよ)
あーまったくお人よし過ぎるとパイロットスーツを拾いながら、若干の余裕を取り戻してくる。
「バスターは?」
「もともとこっちのものよ。とっくにモルゲンレーテが持って行ったわよ。」
どこかつんつんした調子で答えるミリアリアにめげずにディアッカは問いを重ねる。
多少つっけんどんにされたところで今更情報ソースを逃す気はない。
「んじゃあいつは?」
「あいつ?」
誰だ、と訝しげに小首を傾げるミリアリアに苛立ちが募る。
知っている人間なんて彼女のほかにキラ以外はいないというのに。
僅かな、けれど彼女にしてみればかなり理不尽な苛立ちを感じさせる声で早口で告げる。
「キラだよキラ。」
「聞いてどうするのよ。」
途端、警戒するようなミリアリアに苦笑いが浮かぶ。
ディアッカはミリアリアにとってまだ敵なのだ。
キラは一度もそんなことはしなかったのに。
警戒心というものが薄い。初めからこちらが唖然とするような無防備な行動で。
――――――――いや。最初から警戒はしていた。
ただしミリアリアに向けての警戒だ。コーディネイターの捕虜が自分を害する心配ではなく、ディアッカの不用意な発言で恋人をなくした彼女が傷つかないように。
「どうもしないさ。ただあいつってば妙に危なっかしいから気になるだけだ。」
信用するか、しないか。おそらく葛藤があったしばしの間。
「カタパルトデッキよ。」
「やっぱパイロットか……」
ミリアリアの答えに呟きを零す。
ナチュラルの中で唯一のコーディネイターで、ただの乗組員なんて信じられるわけが無い。
「だから何!?」
「別になんでもないって。」
どうどう、と宥める様にすればさらにミリアリアの眦が吊り上る。
「キラに何かしたの!?」
「この中にいてどうやったら手ー出せるってーの?」
糾弾に逆に問いで返すことによってかわすと、ミリアリアはぎゅっと唇を噛んでから搾り出すようにそれを言った。
「……キラが言ったのよ。あんたを出してやれって。」
目を開く。もちろんキラ以外の誰がこんなことをしてくれようと言うのか。
分かっていたけれど。
「サンキュ。」
キラのことだからきっと口止めでもしていただろうに、教えてくれたことに対して礼を言う。
「キラになにかするつもりなら許さないんだからっ!」
震える手で命一杯握りこぶしを作って。
キラとは違う。怖いのだろうきっと。
それでも逃げずに伝えてくれた少女に笑みが上る。そうしてふと思いつきで口に出す。
「あんたはどうするんだ?」
立ち去りかけていた少女はぐるり、と振り返って睨み付けるようにして叫ぶ。
「私はアークエンジェルのCIC担当よ!」
言ってからそれに、と小さく。
「オーブは私の国なんだからっ!!」
ふんっと顔を背けるようにしてミリアリアは勢いよく歩き出す。
今度は引き止めたりせずに見送った。
こういう奴がいるから。
「離れられなかったわけか。」
もう一人の女は生憎とまだ理解できないが……
「俺よりは趣味良いかもね。」
明るい光が久しぶりで目にまぶしい。
天然の光ではなく電気であるとわかっていてもディアッカには喜びだった。もともと宇宙育ちで、本物の太陽なんかよりもそっちの方が楽だ。
出てきた鉄格子を振り返ってふ、と思う。
もしかしたらキラがいつもここに居たのは。
「居心地がいいって楽だったからだけか?もしかして。」
この鉄格子があれば触れられたくない話題が出たら黙りこくればいい。
逃げるのも簡単だ。追われることもない。
「便利君ですかっての……」
そんな都合のいい人のまま終わらせるつもりはもうとうない。
見つけて、捕まえて言ってやる。
「誰と誰の道が交わらないって?」
勝手に決めるなと思う。
そんなものはどうにだって曲げられるのだ。
キラの道が曲げられないなら。
「俺の方が折れてやるよ。」
というよりすでにもうとっくにキラに折られてしまった。あとはただ、合流するだけ。
(さすがにこの中でザフトのパイロットスーツはまずいよな……)
ディアッカを釈放することがどの程度伝わっているのか甚だ疑問でもある。万が一伝達不足で逃げ出したのだと思われたら洒落にもならない。
混乱は必死だ。それは当然船橋にも影響するわけで。ひいては外の攻防にも影響する。
キラの邪魔をすることは本意ではない。
守るためのはずが危険にさらしてどうする、という話で。
「一度来たのが役に立てばいいけどなっ……」
飛び降りてモルゲンレーテを目指した。
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檻の外の混乱へ彼は駆け出す。
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