シークレット・ソウル



医務室ではなく自分が現在休んでいる部屋へキラの手を引いてアスランはドアを開けた。近い医務室ではなく、遠いその部屋を選んだ理由はその距離にある。
常ならともかく、今は事後処理などでしばらくはざわざわと人の行き来が絶えないだろう。
喧騒は遠い方がいい。
わざわざ医務室に行かなくとも応急セットくらいは部屋にあった。

「手、貸して。」

ベッドに座らせて、自身は膝の上に下ろしたキラの手を捕まえるように薬箱を持って跪く。
消毒液のツンとした匂いが鼻につき、くるくると巻かれる白い包帯が奇妙な痛々しさを感じさせる。
実際血は出ているが折れているわけでもなくたいした怪我ではない。アスランや同僚たちだったら舐めておけば治ると放っておかれるのがオチ程度の怪我だ。それなのに、こんなにも焦って丁寧に手当てをするのは今にも壊れそうなキラをこのところ見てきたからだろう。
ただ単にキラだからという理由が強いかもしれないが。

さて、どうするか。

恐くないわけじゃない。
傷つけることも、拒絶されることも、恐くないはずがない。
それでも聞かずに過すにはあまりにも痛く
――――哀しい。苦しい、と言ってもいいかもしれない。
吐きそうになった溜息を飲み込んで、まずは一つ一番近い時間の物から聞いていくことにした。逃げている、と脳内であの女が哂ったが。

「キラはどうしてあんなところにいたんだ?」
「フレイが泣いてたから……」

やっぱりあいつの所為なんじゃないかと僅かに顔を顰めれば、びくりとキラの肩が震えるのがわかる。
知って、いるのだろうか。
分かっていて、やっているのだろうか。
それがアスランをどれほど傷つけているか、なんて。

「俺がそんなに怖い?」

暗い笑いが口元に上る。笑っていない自覚も、その顔がわりと威圧感を与えて見られることも知ってはいたけれど。
ふるふると首を振る姿は子犬のようで可愛らしいけれど、それはむしろ肯定しているようで。

「どうしたらキラはそれを解いてくれるんだろうな。」

君は
―――――何を望む?
それさえ分かれば、昔のように笑ってもらえる自信がアスランにはあった。
ストライクのパイロットのことを隠蔽することも、アークエンジェルのクルーを早く捕虜交換で返すことも、なんだって叶えてみせる。
たとえそれが自分の力でなくても。本意ではなくても。

「……ごめ……なさい……」

そんな意味のない言葉が弾き出される。
機嫌が悪いことを感じ取って言っているに過ぎない言葉に酷く苛ついた。

「聞いているのはそうじゃないっ!」

ビクリ、とまた身を竦ませる。
どうしたらいいのか本当に分からなくて、焦って。
――――――最悪だ。

「ごめん、キラ。そうじゃなくて……」

どこで間違ったのだろう。

画面越しのキラはこんなにも怯えていなかった。
もっとしっかりとしていて、はっきりとしていて。
何が一体キラをこんなに怯えさせているのかがさっぱり分からなくてアスランは頭を抱えた。








アスランが酷く困っているのが分かった。
近くで、こんなにちゃんとアスランの顔を見るのは本当に久しぶりだ。アークエンジェルが投降してからも、目を開けた瞬間に見た厳しい顔が恐くて恐くてまともに見れなかった。
落ち着けば眉間の皺も、おろおろと困っているようにしか見えない。
それは見慣れたもので恐くはなかった。

「……ごめん……」
「そうじゃ、ないんだ。キラを責めててるわけじゃない……」

困らせていることに対して何とか言葉をつむぎだすとすぐさま否定に首をふられる。
じゃあ何を言えばいいんだろうと怒鳴りたい衝動にかられる。
アスランがこうやって手当てしてくれること自体不思議なことだ。
アスランは卑怯なことは嫌いだし、隠し事なんてだいっきらいだ。
一度なんでだったか物凄く怒られて口を利いてくれなかったことを憶えている。あの時は非が自分にあるなんて思ってなかったからキラも意地を張ってみたけれど、結局幾日も耐えられなくて泣きついた。
そのときにした指切りはもう二度と隠し事はしないこと、だった。
まだ、自分のことなんて何も知らなかったから。

「僕が、こんな隠し事してたのに?」
「何か理由があったんだろ。それに気づかなかった俺が鈍いだけだと母上だって言うだろうさ。」

そんな言い方が懐かしくて、笑った自覚はなくてもこわばっていた頬がほんの少し緩む。
同時に真剣だけれどどこか柔らかくアスランの調子が変わった。

「キラが望むのはなに?」

どんなことだって叶えるとアスランは言った。

キラが望むことなんてそんなたいしたことじゃない。
きっと素朴で、ささやかで、けれど傲慢な願望。
アスランにだけが叶えられる、アスランだけが拒絶できる。
―――――――――たった、一つ。

「嫌わないで……」

驚いたようにアスランの驚愕に見開かれた瞳が注がれる。
こんなにもしっかりとした視線は今初めて会う。
さっき腕をつかまれたときですら恐怖は抜けずにフィルターは掛かっていた。けれど今、それはない。
恐いのは変わらない。次に待つ言葉なんてずっとこなければいいのに。
それでもアスランをずっと困らせたままにするのは駄目だから。

審判を受けよう。

「僕は君をずっと騙してた。だから嫌われるだろうって思ったし、しょうがないとも思う。おまけにこんなことやってたし。でも……僕はアスランに嫌われるのだけは怖かった。」
「……キラ……」
「僕は君に嫌われる以上に恐いことなんてないんだ。」

アスランと戦うことよりも、自分が死んでしまうことよりも。
ただ、ただ。
嫌われることが恐い。
あの優しかった瞳で軽蔑されたように見られるのだけはどうしても耐えられそうになかった。
それなのに宇宙に、アスランの側に居ることを選んだ。近くにいるということは、同時にばれる可能性が高いということだ。
彼らはアークエンジェルを追ってくる。落ちなければ追いかけてくれるのだとそう思ったから。
帰ってしまったらもうアスランの無事は分からないという確信があった。
ザフトのマザーにハッキングを掛ければ分からないこともないかもしれないけれど、それはすぐに駆けつけられる近さはない。

だから……

守ってくれるというフレイに甘えた。
ふわふわした女の子なのに。
綺麗で、可愛くて、普通の女の子だったのに。
悪魔に身を売ったのよ、と彼女は笑った。
だから気にしないでと言って、約束をちゃんと守ってねと彼女は言った。
身を寄せ合って眠るときも、話しているときも、食事をしているときも、彼女の側が一番安心できる場所になった。
大切な約束。契約かもしれない、誓約かもしれない。
守らなくちゃと思った、そんな約束。
だから自分は今生きているのだと知っている。
それでも除けない恐怖がじわじわと這い上がる。
言葉の途中で名前を呼んで、無視して続けて、彼は俯いた。だからどんな顔をしているかなんて分からない。
ドキドキと鼓動が早くなる。覚悟なんてそんなものなかったのに。
ここにフレイはいない。拒絶されたらきっとまともではいられないだろう。今だって自分がまともな精神をしているのかどうか時々疑う。フレイがいてくれることだけが支えだった。

「馬鹿だな、キラは。」

うつむいて、最初の言葉がそれ。
やっぱり、怒っているのだろうか。

「馬鹿だよ。俺がそれくらいで嫌いになれるわけないじゃないか。」

見くびるなよ、と睨みつけるくらいの強さで見られて、そうして引き寄せられた。
肩の部分の硬い布が鼻に当たって痛かったけれど、垣間見えた表情はとても安心しているように見えて、抗議の声の代わりに「うん」と一つ頷いた。


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