ビア



「キラ。」

アークエンジェルに積まれていた救命艇に乗り込んで、腕の中に居る人が大丈夫かどうかアスランは伺う。
確かにそこにぬくもりはあるけれど、同じ歳の少年であるには軽い感覚が不安にするのだ。

「ぐずぐずするな!気づかれるぞ。」
「わかっている。」

救命艇といえど無理やり発進させるのだから操作はある程度必要だ。
だいたいコンソールのある場所に行かなければどこに向かうのか設定できないし、そこに居ないと不測の事態が起きたときに対応できない。
でも、手を離したら消えてしまうんじゃないかと不安な気がして。
動けない。

「そいつが心配ならさっさと帰るぞ!」

痺れを切らしてイザークは先に走り出す。

「そうだな。」

それは一理ある。
残ったアスランの理性はイザークの意見に納得する。
もともと優秀な頭脳は今の状況が悠長にしていられないことを分かってはいる。

早くキラを医者に見せないと。
見えるところに外傷はないけれど、これは異常だ。
もう一度腕の中のキラを見て。それが決定打。

「キラ。もう少し待っててね?」

そうしたらもう絶対放さないから。

呟いて。
そっと寝かせてイザークの後を追う。



<アスラン。イザーク。首尾は?>
「問題ない。ただ目的の人物はだいぶ衰弱している。医療班に連絡を。」
<了解しました。>

救命艇の端末の画面越しのニコルが頷くのを確認して。

「撤収する。」

告げられた宣告に。
作戦終了のために最後の仕上げに掛かった。















救命艇が動き出してもキラは眠ったまま目覚めの兆しは見えなかった。
それは衰弱の度合いを示しているのか。
それとも意識がないままでも安心しているのか。

どちらにしても一方的な説明しかされずに連れてこられた彼らは不安だったし心細かった。

「大丈夫さ。」

その重みに耐えられなくなったのか言い聞かせるようにサイが言う。

「キラを保護するって言ってたんだし。」
「そうだよね。助けてくれるってことだよね。」

サイの言葉に便乗するようにカズイがここぞと言った。
そうすればそれが本当になるかのように。
彼らのその考えを支えるのは中立国の人間であるという事実とキラを抱えていたザフトの少年の顔。

大切そうに。
大切な宝物を抱くように扱っていた紺色の髪の少年。
鋭く研ぎ澄まされた刃物のように威嚇してはいたけれど、キラに向ける視線だけは柔らかかった。

だから大丈夫だと。
ストライクに乗っていたキラが大丈夫なのなら自分たちも大丈夫だと。

コーディネイターとナチュラルと意識をしていないといいながら、どこかでキラを裏切り者だと思っていたのか。

裏切り者の罪は厚いよ?
それとも。
実際に人の命を手にかけてきた人間のほうが憎悪が深い?

そんな奥底の声。

「馬鹿じゃないの?」

フンッと鼻を鳴らして彼女は笑う。

「フレイ。」

ミリアリアの咎めるような声にもその態度は変わらない。
轟然と顔を上げて、強い視線で見回して。
人一倍感じる不安をごまかしていたのかもしれないけれど。

「大丈夫なわけないじゃない。」

お人よしのキラが保護されるのだとしたら殺されることはないだろうけれど、それだけだ。
待遇はわからないし、なによりコーディネイターの中に行くのだ。
大丈夫なわけがないじゃない。

「キラが大切なら私たちを……アークエンジェルに乗っていたナチュラルを許しはしないわよ。」

それが事実だとフレイは思う。
コーディネイターはその少数性故に同族意識が強い。

コーディネイターとナチュラルと。
その意識の強いフレイだからこそ認められる事実関係。

衰弱したキラ。
MSに乗ることを強制されたキラ。

傷ついていないわけがない。

だって私が傷つけたんだもの。
コーディネイターという化け物には当たり前だと思ったんだもの。

今だって考えが改まったわけじゃない。

ただ彼は「お優しい」「お人よし」のキラは。
傷つけられることを知っただけ。

私の放った言葉で簡単に傷つくのだ。

「キラがMSに乗ったのだってあんたたちを守るためって言うんでしょ?」

守らなくちゃ。戦わなくちゃ。
それがキラの存在理由。
強制と同じ要素でフラガ大尉やラミアス艦長に請われたのが初めでも。

「そんなの……」

僕たちには関係ないとカズイは言おうとして。
けれどフレイは容赦がない。

「あんたたちだって止めなかったじゃない。」
「だけどっ……」

だけどなんだというのか。
「だけど」なんて意味はないの。そんな言い訳。
あるのはキラが傷ついたという事実だけ。
体調がおかしくなるほど参っていたという事実だけ。

「フレイは怖くないの?」

ぽつんと不思議そうにミリアリアが問いかけた。
一番怖がりなフレイが冷静に今の状況を見られるはずがないのに。
さっきだってあんなに食って掛かったのに。
怒るわけでもなく、泣くわけでもなく、怯えるわけでもない。
静かにこの状態を受け入れられるなんてありえない。
自分たちでさえこんなに不安なのだから。

「怖くなんてないわよ……」

強気だった口調がほんの少し弱くなって。
その視線がキラを求めていたことは考え込んでいた誰も知らない。





ガコンと軽く衝撃に揺れる。

<到着した。そこで待機していろ。>

紺色の髪の少年の声が流れてきて。
思わず息を呑んだ。
険をはらんでいたわけでもなく。
ただ単調な涼やかな声だったのに。

ビクリと震えて。



ここが開けばそこはたった今まで敵だったものの中なのだ。