オリビアの太陽
医務室の匂いは嫌いだ、とイザークは思う。 清潔といえば聞こえは良いが、薬くさくて敵わない。 それに怪我をしたり病気を患ったりするのは弱い証だ。 コーディネイターはナチュラルよりよほど丈夫にできている。 彼も軽い怪我は良くするが、それは自分の応急セットで済ませてしまう。 大きな戦闘もなく、怪我人も病人もいないヴェサリウスの医務室にはカーテンの閉まったベットは一つしかない。 白いカーテンを開ける。 同じように白い中にうずもれて、華奢な姿が見える。 さらさらと額にかかる茶色い髪。 幾分顔色は良いだろうか。 「へぇこいつが?」 「ああ。」 ディアッカは顔を知らない。 イザークはアスランとともに潜入したため顔くらい知っている。 動いたところを実際に見たわけではないし、彼と話したこともない。 ただ漠然とあるといわれたつながりに戸惑う。 「こんな別嬪がねぇ。」 感嘆だろうか。 それとも皮肉だろうか。 きっと自分で連れて帰らなければ実際信じられないところだ。 否、今だって信じたくはない。 「ジュールさん、エルスマンさん。勝手に入らないでください!」 出払っていたのを戻ってきたのかあわてる軍医に一瞥をくれて。 「アスランから許可は取った。」 「確かこいつの処遇についてはアスランが握ってるんだろ?」 それに黙ったものの、やはり患者のそばにいられるのは不本意なのだろう。 ちらちらと伺ってくる軍医にディアッカが問いを投げる。 「こいつの状態は?」 「運ばれた当初は酷い栄養失調と過労でしたが今は点滴と自重作用が働いて眠っているだけです。」 説明にイザークとディアッカは訝しげに顔をしかめる。 それくらいは医者でなくとも奴の顔色を見れば分かったはずだ。 アスランのあの激昂。 鋭い拒絶。 優等生のアスランはたとえイザークが突っかかっていってもああいう拒絶の仕方はしない。 イザークと違い、彼は普段ただ受け流すのだ。 「他には?」 ないとは言わせないと脅しを掛けるようにイザークが問う。 「患者のプライベートに関る可能性がありますので……」 言えない、と軍医が言おうとしてイザークがそれを遮ろうとした瞬間。 枕元の電子図の線が跳ねた。 それは脳波が絶えず記されている。 人間はレム睡眠とノンレム睡眠――――深い眠りと浅い眠りを繰り返す。 当然深い眠りの方が起き難く、浅い眠りのほうが起き易い。 今の彼の状態は意識がないといっても弱った体が休養を欲して眠りを欲しているが、眠りが浅くなれば当然意識を取り戻すというわけで。 「アスランに知らせる。ブリーフィングルームだ。」 「はっはい!」 慌てて軍医が端末に走る。 それを横目で見ながらイザークは医務室を出る方向に踵を返す。 「珍しいな。」 「何がだ。」 言わなくても分かるだろうに、とディアッカは笑う。 アスランに対して気を使っているのか、それとも遠慮しているのか。 どちらにしてもここで出て行くのはイザークらしくない。 自覚があるのか不機嫌そうに答えたまますたすたと軽重力から外に向かう扉を開ける。 「情が移ったか?」 「何を馬鹿なことを。」 それが本当か、それとも本人下ただ単に気づいていないだけかはディアッカにはわからない。楽しそうに口の端だけで笑んで、イザークの言葉を待つ。 「ただ気になるだけだ。」 アスランを人間らしくする人間に。 いけ好かない優等生。 人を馬鹿にしたようにいつだって冷静に受け流す。 だから気に喰わなかったのに。 「今の比じゃなかった。」 「何が?」 「こいつの顔色だ。」 今もお世辞にも健康そうとは思えない。 それは瞳が閉じられているからかもしれないし、最初の印象が強いからかもしれない。 だが、あの時は本当に。 白く、白く。 どこまでもはかなくて。 「うわっ本気で情が移っちゃったみたいだねぇ……」 珍しい。本当に珍しいこと。 アスラン、イザーク。 他人に興味を示さないあいつらを尽く引き付ける人間。 「眠り姫は何も知らずってね。」 振り返ってもみえないが、医務室に眠る少年に向けてディアッカはそう呟いた。 「良かったんですか?」 イザークとディアッカが出て行ったドアを見ながらニコルはアスランを心配そうに振り返った。 「あれだけ言うんだ。心配ないだろう。」 そうですね、と一応うなずきながら、それでもなおニコルは心配顔を崩さない。 正直に言って、ニコルの心配はイザークでなくアスランだった。 アスランがイザークたちを彼に会わせようとしないのはなにも傷つける不安があるからだけではない、とニコルは思っている。 いくらなんでもイザークもディアッカも自分たちが命令で保護した人間を―――それも動けない病人をいたぶろうなんて思わないはずだ。 それだけ軍における上昇志向も強いし、イザークは真っ直ぐでプライドが高く、ディアッカはそんな後々不利になる詰まらないまねはしない。 それをアスランがわからないはずもないのに。 どんなに反目しあっていても彼らはお互いを正当に評価する。 なのに彼らをかたくなに合わせなかった理由は…… 「綺麗な人ですもんね。」 彼に向ける特別な感情。 その所為なんじゃないか、というのがニコルの推理だ。 「”綺麗”か?」 きょとんとしたアスランにあきれてしまうのも無理はないだろう。 「アスラン……自分とかラクス嬢とかイザークとか見慣れすぎて美的感覚がずれるのもわかりますが……」 「違うっていうかそれはないから……」 ニコルの台詞にあきれたというか脱力したというか、ともかく苦笑気味にアスランが答える。 「キラは綺麗っていうより可愛いって言われてたから。」 たしかに、とうなずけるのはこの前アスランの話を聞いたからだ。 昔話のエピソードの端々に可愛い―――といっては失礼かもしれないけれど―――言動が伺える。 実は彼もそうだったのではないか、とニコルはアスランの顔を盗み見る。 端整なつくりの顔に鍛えられた体躯。 今はカッコいいだとか言われて綺麗だとか可愛いだとか女性めいた形容詞は使われないけれど、昔は絶対そうだ。 (……僕だけじゃないんだ。) 今でも可愛いと表現されることが時折―――どころでなく良くあるニコルはホッとしたというのはアスランにはわからない。 そんな話をしていて突然のコール音。 ピーピーピー 「連絡?」 比較的近くにいたアスランがすばやく操作する。 一番何かあったとして思い当たるのがキラのこと。 それは彼が予想していたものではなかったが、間違いはなく。 白衣を着た軍医が告げる。 <キラ・ヤマトが目覚めます> 聞いたとたんアスランは部屋を飛び出した。 |