オリビアの太陽
キラの震えは完全に収まったわけではなくて心残りを残して振り返りつつニコルは医務室を出た。 パイロットである以上出撃戦闘になれば出撃しなくてはならない。あれは出撃要請ではなく、勧告だ。その後もまだ出撃命令はないが、状況を知り、命令によりパイロットスーツに着替えて格納庫へと行く時間を考えるといつまでもここに居るわけにはいかなかった。 やっと駆け込んだブリッジには赤が三つ。キラを宥めてから来たニコルより格納庫やどこか船内で寛ぐか訓練かをしていたほうが早かったらしい。当然だ。 だが誰も遅い、とは言わなかった。 「目標は?」 「生憎と足つきじゃないようだな。」 問いかけたニコルに先に居たイザークが返す。その答えにニコルは安堵に近い息を零した。先ほどのキラの様子を考えるとそれはとても複雑な気持ちだ。 良かった。というべきなのか。 キラは酷く恐れていた。今彼の乗るこの戦艦が自分がかつて乗っていた船と会ってしまうことを。守るものがもう居ない、船のことを心配して。 クルーゼ隊以外にも宇宙にはたくさんの部隊が出ているのだからそれは無意味だ。いくらコーディネイターの絶対数が少ないとはいえ、仮にも一国家ともいえるプラントの軍隊において主戦場の宇宙に部隊が一個小隊しか投下されないなどありえない。 確かに他の部隊よりもGシリーズがあるだけ恐ろしいのかもしれないが、因縁めいたこの戦艦がキラにとって敵象徴なのかもしれない。 どちらにしてもキラが心配するのは足つきの無事なのだ。 だがニコルとしては彼の扱いには足つきに怒りを感じ得ないし、元々落とすべきものとして捉えている。 微妙な溜息を吐くニコルを一瞥し、黙って航路を示す画面を見ていたアスランが言う。 「地球軍の部隊には変わりはない。まだ大分距離はあるが出撃命令はもうすぐだろう。」 「どこの部隊ですか?」 「大西洋連邦だ。」 ふむ、とその答えにしばし考え込む。 地球軍の中では大きな派閥だが、だからといって強いというわけでもない。引っかかったのはただ一つキラのことだけだ。 確か、足つきはそこの管轄ではなかったか。 「たいしたことねーだろ。」 「そう、ですね。」 一瞬嫌な予感を感じたが、振り払うようにたてに首を振る。 地球軍という軍隊は数が厄介なだけであって個々の性能や強さで言えばコーディネイターの足元にも及ばない。 ジン一機を落とすのに必要とされると言われるMAの数は5機。コーディネイターでも生え抜きのエースパイロットである赤の彼らで、しかも地球軍ご自慢の新型とあれば5機ではすまないだろう。 だから万が一にもそんな不安はない。戦場は絶対などないが、少なくともそれは特別な任務というわけではないのだから。 まさか、キラを探してなどということはないだろう。たかが一人――――正確には6人だが、おそらく地球軍が問題にするのはキラ一人だ――――の乗組員を探すなど。 しかも彼は軍人ではない。ストライクもあのまま足つきの中だ。 曖昧に笑って無理やり納得したニコルは言った。 「キラさんが乗ってる間は足つきには会いたくありませんね。」 返事は返っては来なかった。少なくともイザークには腰抜けがとでも言われるかと思ったが予想に反してただ視線を合わせただけ。そうだな、とも取れる反応で以外に思う。 ディアッカはディアッカでそのイザークの反応ににやにやと笑ったまま何も言わない。 まったく不気味な反応だと思ったが、下手に突いて出撃前に口論になるのもごめんだとニコルも口を閉じた。 もしかしたらイザークはキラに同情しているのかもしれないと思う。彼はキラに会っている。 同情するのならイザークの常としては仇だと言って撃ちに行きそうなものだが、そうしても喜ばないことを彼も知っているのではないか。 イザークの反応はそう思わせた。が、それについて問うよりも――――聞いても答えてはくれなかったと思うが――――早く。 「俺はキラの目の前でも落とす。」 躊躇ったりなどしないと言うアスランにニコルは眉を曇らせる。 本当に、らしくない。 本来のアスランならそんなことを言う人ではないのだけれど。 思わずディアッカと顔を見合わせて溜息を吐く。先日もそうだったがどうにもアスランはキラと足つきのことになると無謀な方向へ突っ走る。 ナチュラルを憎んでいるわけではない。許せない、と思うことと憎いと思うことは違う。 そしてニコルの持つ感情は前者に近くて。彼が軍に居るのは殺すためではない。守るためだ。それが奇麗事だと分かってはいるけれど。 アスランもそうだと思っていた。 事実アスランは戦うことを好んでいるわけではない。任務には忠実だし、敵機を撃ち落すのにも躊躇いなく誰よりも戦績は良いけれど。 自分が人を殺しているのだと分かっているようだった。 そんな手で、彼はあの綺麗な人に触れられるのだろうか。 彼もまた人を手がけたはずなのに。綺麗なまま、それが怖いと良いながらも守ることを選ぼうとする人に。 「キラさん震えるんです。」 その名前にビクリ、とアスランが肩を震わせる。 キラの震え方とは違う、気になって反応したという動揺。 「さっきアラートが鳴ったときに。」 アラートが鳴ったとたんに震えた体。 体調だってまだ良くなってないのに必死に守りたいのだという目をして聞いてきた。 震えているくせに。恐れているくせに。 それでもなお彼が戦わないことで散ってしまうことを怖がるように。 ニコルには分からない。 どうしてそこまでして自分をぼろぼろにした人間を庇うのか。 ただ、そんな彼を見て思うのは。 「これ以上壊したくないんです。」 細い細い。 少年だというのに華奢な肩。 アスランの腕の中にも自分の腕の中にもすっぽりと納まってしまうような少年[キラ]。 壊れてしまう。 彼にとって大切なものが一つでも壊れてしまったら。 そして、それが他でもない自分の大切なものの手で奪われてしまったら? 分からない。 予想がつかない。 例え会って間もないと言ってもニコルにはある程度人の性格を読む自信があった。 キラも例外ではないと思う。むしろアスランなどより余程読みやすい。 読めるから、分からない。 三年の空白があるからといって、ずっと一緒に過ごして来たアスランがニコルより分からないということはないはずだ。 それなのに、頭に血が上りすぎて判断が鈍っているのか。それとも予想したくないのだろうか。 「分からなければ、いい。」 ――――イザークがぽつりと言った。 驚いてニコルが顔をアスランからイザークに向ける。一体どんな顔で言ったというのか。そんな相手を気遣うような言葉を。 「それじゃ駄目だ。」 頭を振り、静かに否定する。 むっとしたようなイザークに言葉を発させる前に。 「それだとまたキラが迷う。キラの目の前で徹底的に潰す。」 誰も生きていられないくらい。 脱出ポットを発射する間もないくらいに。 冷たく、言い切ったアスランの常にない冷ややかさに。 イザークもニコルも絶句した。 常にはない冷ややかさだ。確かにアスランは他人に興味を示さないことから氷のというような形容詞を使われることもある。だが。 この反応は、違う。 ただディアッカだけはまったく、とでも言うように肩を竦めた。 かたかたと。 がたがたと。 シーツの山が震えるキラの体に合わせて動く。 誰も居ない白い部屋ではそれを宥めてくれる手はなかった。 ”君は戦うんだ” 誰かがささやく。 耳元で、優しく。 ”戦う以外に存在価値はない” どうして。 ”君はコーディネイターだろう?” でも兵器じゃないんだ。 ただ守りたかっただけ。 ”みんな戦っているよ” 知っている。 聞こえた音。 それは戦闘の―――――合図。 ”君の大好きなアスランも” 「煩いっ!」 咄嗟に叫んだ声が白い壁を打ち、枕に振り下ろした拳は柔らかいそれに埋もれた。 耳をふさいで。頭の中の声を追い出すように。 そう、出来ることを願ってきつく目を閉じる。 君を殺すくらいなら。 あの人たちを殺さなくてはいけないのなら。 どうか。 その手で僕を殺して。 |