オリビアの太陽
ぼんやりと開いた視界の向こうに、紅い色を見つけてキラはぼんやりと考えた。 一瞬、思ったのはアスランだった。けれど、声を寝起きの乾いて張り付いた喉から声を出す前に違うことに気づいた。あの夜色の髪じゃない。 「……誰?」 声に振り向いて、紫色の瞳がにやりと笑ませて知らない青年は口を開いた。 赤い軍服が白い部屋に不自然に映る。どうしてパイロットがここに居るのだろうか、と。 アスランとニコルしか知らないが、その色が特殊であることはなんとなくキラも知っていた。少なくともそれを着るのはパイロットだけだ。 けれど、キラはあの音の意味を知っている。それがなんの合図であるのか。 『戦闘開始の合図』だ。 「俺?見張りだよ。見張り。」 軽い口調で言われた言葉に簡単に疑問は瓦解した。 そうだ。どうして気づかなかったのか。だったら戦闘中であっても見張りを置いておくのは道理である。こんな自分に何が出来ると思っているかはわからないが、ザフトから見れば自分は凶悪なコーディネイターを何人も殺したストライクのパイロットなのだ。 「そうですよね……」 納得して、それから目に見えて沈む。 ずっとアスランが甲斐甲斐しく面倒を見てくれていたので忘れていた。 所詮は地球軍に組したもので、所詮は捕虜。 アスランの扱いがどんなに丁寧であろうともその事実は変わらないのだ。 (だって僕は裏切り者なんだから……) 「うわ冗談だって。」 真に受けたキラの陰に気づいてあわててディアッカは否定に両手を振った。 なにせ命が掛かっているので必死だ。 ここで泣かせてみろ。返ってきたところで確実に殺される。少なくともあのブリザードの視線にさらされるのは決定だ。 泣いた後、目の赤味はなかなか引かない。既に出撃から30分ほど経っているから仮に冷やしたとしても完全に収まる前には帰ってきてしまうだろう。整備などお構いなしに飛んできそうなことでもあるし。 「何が冗談?」 きょとんと本気で分からないというように見上げてくる巨大な瞳に思わずディアッカは溜息を吐く。どうしてこんなに信じやすいんだ。会話が飛んでいって一言二言のはずなのに酷く疲れる。それは勿論今は居ないが後ろで睨みを効かせる怖い奴の所為なのだが。 「だいたいさっきだって見張りなんか居なかっただろ?」 そういえば、とキラは考えて。だが一人であった時間はたいてい寝ていた――――気を失っていた、とも言う――――から記憶の中にはたいてい赤が居る。それだけで、この部屋の外に見張りがいるのかさえキラは知らない。 「アスランが居たけど……」 ああ、とディアッカは答えを与えた。 「あいつさ、あんたを連れて来てからずっと時間が空けばここに張り付いてたんだよ。」 むしろ空かなくても無理やり着ていて格納庫で嘆く声がそこかしこで聞こえていたような気もするが、それは色々とニコルやら珍しい面々やらが不機嫌そうに手助けしていたのを見ている。 「お前が不安がるだろうって、さ。」 言ってからだが、とディアッカはキラを見ながら口の端を吊り上げて笑みを作る。 アレを見て、コレを見て。何が、誰が不安だというのか。聞いていたほど頼りなくもなく、予想していたほど怯えてもいない。 ほんの少し会話のめぐりが鈍いのは、寝起きの所為だろうかとも思う。 「本当はアスランの方が不安だったんじゃないかって思うけどね。俺は。」 「なんで……アスランが?」 どうして不安だなんて思うのか。 何を不安だなんて思うのか。 「お前本気で言ってる?それとも寝ぼけてるだけか?」 からかう様な口調の中に若干の嘲るような雰囲気を感じ取ってぐっとキラは睨み付ける。 馬鹿か、と言う相手に。自分だけでなく、大切な幼馴染も貶す相手に。 「どういう意味ですか?」 「どういう意味もなにも……アスランが人が変わるくらい大切にされてるの分かってないのかってことだけど?」 「まあ、そういうことならなんとなく……」 大切にされているという自覚はある。 昔ほど口うるさくなく、けれど前よりもっと世話を焼いてくれる。 昔はともかく今、キラは自分が甘やかされていることに気づいていないわけではない。 こんな状況でもまだ良くしてくれるアスランに若干のずれを感じずにはいられなくて、どうしても手は伸ばせないのだけれど。 「そういやお前トモダチに会いたくないの……っていうか居るの知ってるか?」 「アスランから聞きました。」 途中でもしかしたらと気づいて変えた台詞はあっさりと肯定で退けられた。 だが、聞いたというのに動こうとしないのはどういうわけか。軍人でもないのに戦っていたのは彼らのためだと聞いたが、そうであったら真っ先に聞きはしないか。戦っていたものの中に放り込まれて聞くだけで安心などできるものなのか。 もしかしてそれは、それだけアスランを信じているということか、それとも。 「会いたくない?」 試すように問えば。 「それは……会いたい、ですけど。」 躊躇うようなキラに、これは、と思う。確かに、と溜息。 優柔普段で自分の意思で決められないというわけか。 アスランはおそらくあって欲しいと思わないだろう。あれだけご立腹だったわけだし、イザークも彼もどことなく警戒されている。取られるのではないか、という危惧。 かといって拒否するだけの理由も無い。 「あんたさ、アスランの綺麗なだけのお人形?」 「違います。」 はっきりと。 キラにとっても心外だし、アスランにとっても失礼だ。 対等、とはもしかしたらいえないかもしれない。対等だと言ってみてもこの今の状況だけを見ればどうしたってキラがアスランにおんぶに抱っこされている状態だろう。 それでも人形なんかじゃない。 「だったら気にする必要なんてないだろ。」 「でも、迷惑が掛かりませんか?」 何を言っているのかときょとんと今度はディアッカがそんな不思議そうな顔を返した。 自分に対してではなく、連れて行こうという相手に対して不安そうにする顔の理由が分からなくてディアッカはじっと探すようにその視線と目を合わせた。 そうしてやっともしかして、とディアッカは思い当たる。自分が最初に言ってしまった言葉がキラの不安がまさにドンピシャリだったということに。 「お前自分が捕虜だと思ってんの?」 「違うんですか?」 豆鉄砲を食らったような、きょとんとした顔にディアッカは頭を抱えたくなった。 ニコルもアスランもなんで言わなかったのかと。 もっとも連れてきた方が保護したと思っている人間にわざわざ問われもしない疑問を察することなど無理な話というものかもしれないが。 「捕虜じゃなくて保護。見かけ通り抜けてんなぁ。」 失礼な物言いにむっとキラは顔を顰めて口を結んで抵抗の姿勢を見せる。 そんなキラにまた笑みがディアッカの顔に上る。 寝ているだけの動かない人形より、そういう顔のほうがずっとディアッカの好みだ。 「お前は捕虜じゃないから行動に規制を掛けられるいわれはないわけ。そりゃ勝手に艦内で歩かれるのは困るけどな。オーケー?」 「……分かりました。」 どことなく不満そうな、納得していなそうな返事は多分ディアッカの言い方の所為なのだろう。子供扱いは素直に喜べないと見える。 「なら行くぞ。」 さっさと出て行こうとしたディアッカに慌てたような静止がかかる。 「ちょっ……待って……」 「何?ああ、立てないのか?」 「多分、大丈夫ですけど……そうじゃなくて。」 無理がたたって弱って病人よろしく寝ていた人間にいきなり歩けというのは問題だったかと危惧して足を止めたディアッカに頭を振って、否と答えを返してキラはどこか宙の中からでも取り出して見せたような場にそぐわない台詞を言った。 「知らない人に付いていったらだめですって教えられてるんです。」 真面目なのか、茶目っ気を持って言っているのか微妙なところで、まあ要するに言外に名前を教えろと。 「あー悪い、悪い。俺はディアッカ・エルスマン。」 「僕は……」 こっちも律儀に自己紹介を始めようとするところをディアッカは慌てて止めた。 これ以上時間を食うわけにはいかない。現在戦闘開始から約1時間。そろそろ艦の揺れも収まっている。恐怖の時間が来る前に連れ出さなければ、面白いどころではない。 「俺がお前見たの初めてじゃないし、お前が寝てる間毎日アスランが煩かったからさ。」 「……どんな風にですか……?」 聞いてみたけど聞きたくない。そんな一抹の不安を思い切り感じて引きつるキラに笑いをかみ殺し。 「分かりきったこと聞いてるんじゃねーよ。」 くしゃりと髪の毛を掻き混ぜてディアッカはキラの腕を引いて今度こそ白い部屋を出た。 |