人は夢を見る生き物だ。
夢を見て、夢に敗れて、そうして散っていく。
今、彼もまたその行程に向かっていた。
扉の開閉システムは生きていて、通常と同じ音を立てて扉が開く。その音に待っていたかのように椅子を回転させて振り返った男は、カツンカツンと響く足音が近づくままに立ち上がった。
「君がこんなところまで来てくれるとは正直思っていなかったよ」
データ上でのみ知っている顔だけを見つめて議長はそう言った。
求めた英雄。求めた奇跡。
今初めて手の届く場所に居る。それは酷く嬉しいことだ。ここまで来るのに駒はほぼ使い切ってしまったけれど。
ふと、その横に移された視線がもう一つの人影をとらえてまた彼は微笑を浮かべた。
「ああ、君も来てくれたのか……シン」
嬉しそうに見える笑みを浮かべた議長がいつもと変わらぬ様子で硝子のチェス駒を進めた。出会ったのは白のナイトと黒のナイト。変則的な動きをするナイトは素人には扱い辛く敬遠されがちだが、使い慣れれば使い勝手はそう悪くもない。
ナイト―――騎士。白と黒にそれぞれ二つずつ。
キラとアスラン。
レイとそして……シン。
振られた役割を知らず知らず演じさせられていた彼らは、議長にとってなるほど王と姫のナイトだろう。
「まさに運命のようだね」
満足そうに笑う議長が綴った運命。
循環する環のように同じ物語を紡ぐその旋律は、ならば彼が滅びることで終わるのだろう。
言っている本人が分かっているのかいないのか分からない。常に余裕そうに微笑を浮かべる彼の顔からはキラごときでは読み取れない。そういう部門は専門外で歯が立たない。
息を吸い込んで吐き出す。儀式のようにゆっくりと、しっかりとセーフティーを外し、構えた銃を上に上げる。
「でもあなたの綴る運命は終わります」
「そうかい?私が居れば終わることはない」
「そう、しないために僕は来たんだ」
「止めたまえ。せっかく此処まで来たのだ」
薙ぎ払われたようにほとんどのポーンが机に散らばっている。
ポーン一つが幾人の役割をしているのだろう。昔アラスカで見たのと同じように所詮彼も机上でしか戦争を知らないのではないかと思う。あんなに真摯に言葉をつむいでみせたくせに。
睨むだけで一向に銃を下ろさないキラにやれやれと首を振り、話の通じない子供を相手にするような仕種で議長は続ける。
「話の続きをしようか」
外は囲まれ、目の前には銃。それなのにこの余裕はなんだろう。
気味が悪い。あまり気持ちのよくない汗が背筋を伝う。
ここまで追い詰めたのにどうしてだろうか―――――そう、議長は追い詰められたはずなのだ。
「やはり英雄は英雄の道を追うのだよ」
どう続いているのか分からない。彼の指す英雄の一人は不本意ながらキラのことだろう。アスランでもラクスでもカガリでもいいが、議長のニュアンス的にどうもキラのことであるのは決定で。
ならば、もう一人の英雄は。
連れてきた少年を―――シンを見る。
「彼は二年前、前大戦の英雄だった。フリーダム、それは君も良く知っているだろう?シン」
頷こうか頷くまいか迷ったように逡巡し、瞳を揺らす連れの少年に苦笑する。きっと世間的な風評と彼の過去が噛み合わないからだ。そこが知らなかっただけの可愛らしいところで。
キラに向けられた問いであったのなら答えは完全なる否定だ。
誰が英雄で、誰が悪者なのだ……あんな場所で。
「そして君はインド洋で労働を強いられていた住民を助け、デオキアでローエングリンを討ち、デストロイを討ち、戦況を乱すフリーダムを討ち、フェイスとなった。そう、君もまた英雄になったのだ」
最新鋭のモビルスーツを与えられ、命令通りに戦い、情報を操作され?
勿論それだけではない。シンの正義感があって、シンの感傷があって、シンの力があってこそ与えられた称号ではあるのだろうけれど。それだけではないことを知っているだけにキラは眉を顰める。
「君と言う英雄が後続の英雄を連れて私の前に現れた。私の運命論はこれで決定づけられた!」
狂気すら伺える熱狂的な口調で言い切る。
壇上で光を浴びているかのごとく両手を広げ主張するが、何の反応もないたった二人の観客に飽きたのかすぐに落ち着いた口調に戻る。
「レイの話は聞いたかい?」
シンは頷く。キラも頷く。
どちらも聞いた話は繋がってはいるけれど同じものではなく、どちらに向けられた問いなのかやや困る。
「レイのような犠牲を経、数多の命の果てに作られた命」
どうやらそれはキラへ向けられたものなのだとそれで分かった。認めたわけではないけれど、嘘ではないのだろう、きっと。だが、彼を犠牲と議長は言うが直接は関係ないはずだ。クローンの技術はキラの出生に直接的な関係はない。クルーゼには確かにあったかもしれないけれど。
「それが―――君だ」
二年前にも聞いた台詞に芸がないな、と思ってしまう自分に呆れる。
余裕があるのはこっちも同じだ。
負ける気はしない。勝ち負けではないけれど。
「だからなんですか?」
弾かれたように向けられた少年の視線を感じたが、顔を向けたりはしない。負けないように議長に視点を合わせたまま逸らさない。
冷たいと思われようと、酷いと思われようと、キラがやることの支障にするわけにはいかない―――言ってしまえば彼はおまけなのだから。
「人の夢は際限がない。それは君も良く知っているだろう?」
やはり肯定も否定も返さない。
確かにキラの生まれた過程も、戦争も、人の夢の衝突が原因だが、夢があるから未来を目指せることも事実だ。夢に向ける憧れや努力は決して悪いものではない。
「だが君は世界に現れてしまった。無論君が悪いと言っているわけではないよ」
人の良い顔をして突き落とすその話術に軋む音を立てる。
「君と言う名の情報は残され、その結果も彼らは知っている」
目立ちすぎたのだ、と議長は言う。ラボは閉鎖され、博士たち研究に携わったものたちは殺され、死んだと思われていた人間を名前一つから探し出すことなど不可能に近い。なにせ名前など変えてしまえばいい。命には代えられないし、写真に添えられた名前が本当に付けられたのかどうかも分からない。
だがキラは唐突に現れた。戦争を止める立役者として。
フリーダムのパイロットについては公に公表されてはいない。フリーダムという機体は有名であってもそのパイロットの名前はアスランのようには出回っていないのだ。そう、彼女らは手を回した。
だが私ですら知ることができたのだから、他の誰でもできることだと議長は笑う。
そうして。
「だから生まれ、だから虐げられる者たちがいるのだ。それを君は知っているかい?」
そんなの聞いた。そんなの知らない。
君は悪くない。罪ではない。そう言っておきながら、その所為で犠牲者がいるのだと言う。人の傷を抉る術にもさすが長けている。
俯かない様に銃を向けた先を見つめる。
見せてあげる、なんて偉そうなことを言っておきながら、自分のことで手一杯で周りのことなんか見ている余裕がなかった。さっきまであった余裕は一体何処に行ってしまったのか。状況は決して変わっていないはずなのに、どうして議長が有利に見えてくるのだろう。
「僕はただの……一人の人間だ」
落ち着け心臓。大丈夫だと暗示をかける。
知っていたことを今更言われても痛くも痒くもない。
それとも言われたことが痛いのではなく、聞かれたことが痛いのか。そんな考えに思い至って半歩後ろを振り向いた。
呆然とただ聞くだけの少年は理解しているのか分かりかねる。それでも見ればいいと言ったのはキラだ。そしてその通り彼は今夢の裏側と直面している。
どう感じるか、どう転ぶか、まだ分からない。それを気にしていてもしかたがない。
「それは僕の罪じゃない」
傲慢に言い切れ。
彼らの存在が悲しいだけのものにならないために。
「僕も、彼らも、普通と変わらないただの人間だから」
睨みつけるように隔てるキラとレイと人とを区別する議長を見上げた。
話は難しくて飲み込むまでに少し掛かった。その間にも情報はどんどん増えていって、シンの理解を待ってなんてくれない。否、難しいわけじゃない。スケールが大きすぎて、途方もなさすぎて、突拍子がなさすぎて、ついていけなかっただけだ。
けれど、要するにそれはレイが話の中心ということだけは分かって。
「なんだよ、それ」
切れた会話の合間に丁度よくふつふつと湧き上がる感情に任せた言葉が響く。
「なんだよ、それは!!」
そんなもののためにレイはあんなに苦しんでいたんだろうか。
見ればいいと言った彼の言葉は確かで知らなかったことを見せてくれた。
それが世界と人の夢。その裏側。議長が語る夢の世界の、自分が守ろうとした世界の。
レイはどこまで知っていたのだろう。全て知っていたのだろうか。自分がそうして隔てられていることも。どちらにしろ、多分そのためにレイを作ったのは……議長だ。
理解しがたい。
「若いね、君は」
キラからそらされ、幼いと馬鹿にされた気さえする台詞を貰いさらに憤然と憤りが増す。
「だから気づかない」
「あなたは何を言いたいんですか?」
庇うようにか、遮るように口を挟んだキラ・ヤマトへもまた議長は同じ視線を向ける。
「君も同じだ」
深めた笑みが切り札を出す機会を得たかのように輝いた。
「顔立ち、体格、境遇、戦歴、今ここに居ること。どれをとっても彼と君はとてもよく似ていると思わなかい?」
ギクリ、と顔を見る。
丁度見合せる形になってまじまじと見るが似ているとは思わない。いや……似ていると言えなくもない色彩と、ただ戸惑った表情だけは同じかもしれない。
「彼が先天的に作られた最高のコーディネイターなら、君は後天的に作られた最高のコーディネイターだ」
似ているのか、似ていないのか分からない。だが似ているといわれた顔が鏡のように歪んだ。
驚きに見開かれた視線が痛い。
最高のコーディネイターと言う言葉に彼がどんな印象を抱いたのかわからないが、嬉しそうには見えない。
当然だ。キラのように人工子宮で生まれたのだとか、両親が本当の親ではなかったのだとか言われたわけではないが、作られたと言われて気分がいいわけがない。
大体にしてそんなことが可能なのかどうか。キラを最高のコーディネイターと呼ばせる要因は遺伝子にある。
分からない、だが問題はそこではない。
「やはり、あなたはここで居なくなるべきだ」
知っているのになお作ろうとするその思考が許せない。
傲慢な台詞だ。彼を傲慢だと言う口で同じ言葉を紡ぐ。
やろうとしていることに大差はないのだ。互いに相容れないものを排除しようとしているだけで、その規模が大きいか小さいかの違いだけ。
「そういえば、君は銃が撃てるのかい?」
「覚悟はあると言ったはずです」
戦う覚悟―――人を殺す覚悟もその一環だ。
それが恐いとずっと思っていた。今もそれは変わらない。けれど今更取り繕えるほど綺麗な人間でもなくて。
もっと綺麗な人が覚悟を決めてしまったから。
だから逃げてなどいられない。
「そうだったね……だが君が引く幕はまだ先だよ」
そう言いながら議長がキラを見ていないことが分かって、何かに気づいたシンがキラに飛び掛る。
ドン。
「ギルバート!!」
銃声はその一発だけ。
叫ばれた声は女性の声で、そこで初めて自分たち以外の人間がいることを知った。
「……なぜ」
押し倒された格好のまま、倒れている議長をキラは見た。
その胸元を濡らすのは赤い――――血。
湧き出すように溢れてくるそれは彼が傷ついて、倒れていること。
正確に撃たれた胸はの傷が致命傷であること。
「ギル……ごめん……ギル……」
泣きながら硝煙が上がった銃を構えた少年が壁に崩れ落ちる。
撃ったのは彼で、合図のようなあの視線はキラを撃たせるものではなく、自分を撃たせるものだったのだと知り、無意識に唇を噛んでいた。
自分で居なくなるべきだと言ったくせに、叶った結果が酷く後味が悪い。
「……敗れた者の忠告を…聞いておくのも……悪くはないよ」
伸ばした手をタリアと呼んだ女性の手に握られ、嬉しそうに目を閉じるのが見えた。
彼はそれで幸せなのだろう。
自分の研究が立証され、自分の望んだ人に見送られ―――負けたくない者には殺されないで。
だが、それでは、残された残骸は。
「酷い、人だよ」
「うん」
「なんで、レイに撃たせるんだよ!!」
酷い、酷いと駄々をこねるように繰り返す。
素直な表現が羨ましいくらい綺麗で、可愛い。
そういった反応が出てくるほどキラは彼らを知らないし、後味の悪さが残っても終わったのだという感慨の方が強い。それがなんだか情けなくなる。
「凄く慕ってたんだ」
「うん、そうみたいだね」
「なのに……なんでレイに……」
「大丈夫。追い詰めたのは僕だよ」
彼が泣くのは多分それだけが理由じゃなく。
露にされた情報を頭に載せながら……
一緒に、泣いた。