C.E73。
世界を構成する主だった機構は現在三つ稼動していた。
一つは宇宙を代表するプラント最高評議会。戦時中同様ザフトという軍の方が対外的に有名ではある。もう一つは地球を代表する―――現在のところオーブの首脳陣で運営されているが―――組織。ロゴスに牛耳られていた地球連合では当りが悪いということで、かつてA.D時代にあったとされる『国際連合』と名前を変えている。
最後は太陽系調停機構。コーディネイターとナチュラル両方で構成される戦後に新設された平和調停機関だ。
中立であり監視人であるこの機関は国という後ろ盾こそないが、武力にしても政治的発言にしても双方の組織に引けはとらない。むしろ現長官のカリスマで二つの組織を相手取ることすら可能だといわれている。もっとも今のところ反目する事態は起こってはいないが。
デュランダル議長の最終プランに賛成はできないが、彼の政治的手腕は認めざるを得ない。それが正義であるか悪であるかは別として。
政治など奇麗事だけでは治まらないことを知っている人間はそのことをよくよく実感している。
だが、誠意を失くせばそれはただの征服だ。
与える情報を選択し、都合の良いものだけを与えるのであったら確かに統治しやすくはあるが、踏み外した道を直すことに時間が掛かりすぎる。ある程度の報道規制は必要ではあるが、議長のように情報戦をする気はなかった。世界の頂点に立つことで平和を維持しようとし始めたが、彼らは征服したいわけではないのだ。
ただナチュラルもコーディネイターもない平和な世界が欲しいだけで、そのための術として仕方なく各々の役目についているに過ぎない。
だからこそ、かつての議長の有能さが理解される。
あの時確かにナチュラルもコーディネイターもなかった。ザフトも地球軍もなく、ただ一つの敵を目指した。世論という波に逆らえなかっただけだとしても反目しあい続けていた二つの組織が手を取り合ったのだ。
だが人類共通の敵――生贄の羊――を作ることは新しい彼らは良しとしなかった。
ロゴスもしくはブルーコスモスに属していた人間は多く、頭を潰したからといって全てがなくなるわけではない。それを制するための武力を確かにどの機関も持っていた。
だが平和のためと掲げて無為に狩ることはない。それはブルーコスモスがコーディネイターにしたことと変わらないだろう。見つかるような馬鹿はたいてい考えの浅い下っ端ばかりなのだから。
覚醒は眠りほど心地よくはない。いや、柔らかくぬくぬくとしたベッドの感触は起きるときの方が気持ちがいいが、いつまでもその感覚を堪能しているわけにはいかないからそうなるのだ。
眠っている間は感じられないその感覚は朝のその一時だけの至福で、それを心ゆくまで堪能しようとするキラとは違い根性で目を開いたシンはけれど眩しさに目を細めた。
明るい。
昨日電気消し忘れたっけ?もったいないと思いながら――地球の資源は貴重なのだ――向かいにあるベッドを見やって目が冴える。 シーツが綺麗に直されていて、いつもならあるはずの膨らみがない。
ありえない事態に何がと身を起こしかけた瞬間、カチャリと扉が開いた。
「あ、シンおはよう」
「おはよう……じゃないだろ!!」
のほほほほんとした台詞に怒鳴りながら布団を跳ね上げる。
「あんた寝てないな!」
「えぇ?なんで??」
彼はベッドに入るの見たじゃないかと言うが、首を傾げてみせる奴にびしりと指を突きつける勢いで力説した。
「だって俺より先にキラが起きるなんてありえないだろ!」
シンだって別に朝に強いわけではない。ただキラが特別に弱いだけで。
毎朝鳴っては臨終を告げていたキラの目覚まし時計は撤収された。一週間で十個も壊していたら不経済的すぎる。特定の収入のない学生の身ではなおさらに。
まぁ稼ぐのはキラだから文句は言わなくてもいいのだが……勿体無い精神がついつい口を挟んでしまう。なんせシンは生まれも育ちも一般庶民だ。だいたいどうせ目覚ましがあってもなくても起こすのはシンなのだ。
「また、徹夜したな」
じろり、とシンに睨まれてたじたじと小さくなってみせる人は童顔も相まって20に手が届く歳だなんてみえないだろう。だからこそ今の生活があるのだが。
「あーうん、ちょっと、やりかけのレポートが……」
「あんたそんな真面目じゃないだろ」
仕事だって期限ギリギリ、下手をしたら即席だ。受けた依頼の期限までに間に合わなかったことはないがいつだって切羽詰っているのに、生活に差し迫っているでもない学校の宿題に熱心なわけがない。
学年が違うからクラスが違ったって、一緒に暮らしていればそれくらい分かるようになるのだ。
「即答断言って何気に酷いよね……」
「日ごろの行いだろ」
「だったら騙されてくれたっていいのに」
「……本気で言ってんのかよ……」
「勿論冗談だよ」
馬鹿らしくなって深い息を吐く。俗に言う溜息だ、絶対。
「別に、いいけどさ」
稀に眠れないことがある。キラも、シンも。
今回も多分それなんだろうと分かっていてもシンは指摘しない。そんな指摘は無粋であって、傷つけるだけなのはお互い承知だから、気づかなかったことにして目を背けるのが暗黙の決まりごとだった。
「ほら、ほら、朝食食べよう」
「……キラが用意したのかよ?……」
「元々僕の当番だよ」
肯定の言葉にキラの指に目を走らせる。絆創膏は見あたらなかった。
男二人の生活なんて偏見かもしれないが想像が付きそうな位危なっかしい生活で、しかもキラの不器用は相当で家事は分担にしようと当番制にしようと指の傷の量は変わらないという過去があった。結果として稼ぐのがキラ、家事はシンというだいたいの振り分けになったのだが……適材適所という言葉は知っているが理不尽と思わなくもない。
ここ三ヶ月の二人の住居は2LDKのマンションだ。一部屋がわりに広くリビング一部屋に二人の寝室として使っている部屋が一つ。私室を分けなかったのは安全面の問題だ。最初は見張る意味もあったのかもしれない。
セキュリティを勝手に強化するという非常識なことをやってみせたから外敵には絶対とはいかないまでも、かなりの安全性がある。だが、内側からや精神的なものにはまったく頼りにはならないのだ。
「とにかく時間も時間だし早く顔洗ってきてね」
「……分かったよ」
顰めた顔のまま頷けば、何故かうきうきとしたキラがニッコリと笑った。
「あーなんか新鮮だなぁ」
何が、と問うまでもなく今のこの状況―――起こしてせっついて頷かせる―――のことだろう。
「だったらいつもちゃんと起きればいいだろ」
「うーん……できたらね」
無理だと分かっていていても、こりゃ駄目だと思わずにはいられない返事だ。
「で?」
プチトマトにフォークを突き刺しながら言葉短に問う。いつもより豪華な食事は、卵液が十分にしみこんで美味しいフレンチトーストにサラダだった。
朝食は大体トーストに紅茶が定番だ。
フレンチトーストだの味噌汁だのと多少の調理を必要とするものは朝は出てこない。精々ベーコンとスクランブルエッグだ。サラダなんてものも朝は滅多に出てこないし出さない。
それが眠れなかった暇つぶしだというのはまぁいい。
問題なのは台所の惨状で。
「ほら、ちょっと寝不足だったからつい……」
飛び散った砂糖と殻が浮く卵の液体を前にたははははと笑ってみせるキラという光景に、ふるふると拳が震えるのを自覚する。
「片付けてからじゃないと蟻が上がってくるぞ!!」
悪くしたらゴのつく生き物が発生するだろう。奴らの生命力は非常に強く、しぶとい。
どんなにセキュリティを強化したって自然発生の虫だとか、入ってくる虫だとかは防げないのだ。
掃除機を持ち出して砂糖と殻を吸い取って科学雑巾で拭く。本当は濡れ拭きするほうがいいのだが、そこまでやっている時間はさすがにない。帰ってきてからでも大丈夫かなと唸りながらばたばたと動き回るシンとは対照的にキラはのんびりと二杯目の紅茶を啜っている。
「遅刻だ!!」
そうは言っても一時の恥と暫くの生活安全を秤にかけるなら、どうせ卒業まで居るのかもわからない学校の遅刻よりも後者を取るのが当たり前というものだろう。
どんな成績を取ろうとも経歴にはなんら関係ない。そんな未来とは無縁だから構わないのだけれど。
「大丈夫、僕生徒会長だから」
風紀委員くらい黙らせてやる、なんて職権乱用な台詞を吐きだしたキラにそれはそれでまた新しく頭痛を覚える。
なんでこんな人が編入して早々の選挙で立候補したのかが疑問なら、不信任されなかったのかも不思議だ。あまりやりたがらないからという理由だけで生徒会長なんかが決ってしまうなんてことはとりあえずないと思いたいし、絶対あの学校の七不思議の1つだと思う。
普段は見せないキラの凄さなのだと分かってはいるけれど。
「風紀委員は黙らせられても教師まで誤魔化せるわけないだろ!」
SHRに遅刻したらそれはそれで完全な遅刻なのだ。いくら生徒会長で風紀委員を黙らせられたとしても。もっともキラの場合「あっはっは遅刻だぞ、ヤマト」で終わりそうな気がひしひしとするのだが。
「なんで学校って朝早いんだろ」
嫌なら行く必要なんてないじゃないかなんて台詞は言えない。学生が本職でなくても一応それが必要であり、そのためにここで暮らしているのだ。何処でも良かったといえばよかったのだが、ここでなくてはいけないという事があるのも事実で、学校と言うものは時々外に出ない情報が集まりやすいと言う面を持つ。
「いいからさっさと走れよ!」
尻を叩いて玄関から引っ張り出す。
初期は信用して先に行っていたのだ。けれど連絡が来て飛び上がったのは記憶に新しい。そういえばまだ学校に来てから三ヶ月ほどしかたっていないのだけれど。
なんだって俺がこんな不出来な子供を持った親みたいな思いをしなくちゃならないんだと思ったのは初めてではない。
けれど結局キラには頭が上がらない。
年の差だと言われてしまえばそれまでだし、人徳だと言われてしまえばもっとそれまでだ。
「僕は朝苦手なの!どうせだったら夜間学校にすればよかったなぁ……」
「それじゃ意味ないじゃん。しかも昼間だって学校で寝てるんだろ」
「だって授業つまんないんだもん……」
そりゃそうだろう。シンだって中々目新い充実した授業なんかにはお目にかからない。
それより二つも年上のキラが楽しめる内容ではないのは当たり前なのだ。
フリーダムのパイロットがこれだなんて信じられないときがあるけれど、一応コーディネイターで、その中でも優秀で、名前は知られていなくとも実は有名な人であるわけで。
(……忘れそうだけど俺たちがここにこうしてのほほんとしているのだって元を正せばキラの所為というかおかげというかなんだよなぁ)
あの人の言葉を借りるならシンもキラも最高のコーディネイターで。
だから表舞台に居ることはできない。そういう結論に達した。
だから今のシンの名前は『シン・ヤマト』。
IDも別物だ。キラが用意したそれはまったくの偽造で、表向き二人は親を亡くした兄弟ということになっている。戦争ばかりだったここ何年かではそんな子供は珍しくなく、疑問を持たれたこともない。本当に顔も似ているのかもしれない。
元々の戸籍は今もプラントやオーブで管理されているはずだ。戦死、ということにされていなければ。
もしもMIAとされていても今現在世界の中心に居る人物を思えば、戻れば何とかしてくれるだろうし、そうでなくても用意したのと同じようにキラがなんとかするだろう。
その辺は心配していない。
ただ、いつになったら戻れるのか。それがさっぱり不明だった。