どんなにか願って、どんなにか足掻いて。
それが愚かなことと分かっても、手を伸ばさずにはいられない。
果てを知らず、禁忌を知らず、道徳を知らず。
ただ己の技術を駆使したがるのは。
―――――――それが人の夢であるからだ。
太陽系調停機構長官。それが世界を平和に保つための機関トップの名称だ。
その執務室は月にある。
希望したのは初代長官本人だ。そうしてプラントの代表も地球の代表にも同意を得た。
宇宙にありながら、地球に最も近く馴染の深い星。地球を軸に回る唯一の衛星。
そこに迎えた客人のついと伸ばした白く長い指が最後に残った紙を捲る。
「さすがと言うべきなのか、あなたでもと言うべきなのか 」
渡された資料と聞かされた結果を見てアスランは落胆を隠せずに小さく息を吐いた。
自分独自の情報網では無理だった。おそらくカガリの方も同じだろう。
少ない時間と手に入れた権力を使って情報の入手はしているが、はじめから持っているカードが違えばおのずと結果は変わる。
世界でも一、二位を争えるほどの情報収集能力を持つ地位にいながら、それだけでは見つからなかったのなら、キラというその個人が有する考えやデータにない情報が関わっているのだろう。
そう考えたとき、最も彼の考えを聞いていただろう人間は悔しいことにラクスなのだ。
思考回路なら別だ。それならば誰よりもアスランは理解しているという自信がある。
理解不能な行動パターンもアスランなら簡単に読めるのだ。
だが読めるのと近い考え方をするのとは違う。
だからそれに胡坐を掻いて会話がなければ知らないことが増えるのは当たり前だった。
ましてやほとんど的陣営にいたのだ。その後も怪我だ戦闘だと改めて話す時間なんてありもしなかった。
だが、ラクスは。
ラクスとキラは。
ずっと一緒に居て、決心を固めて、行動を起こした。
考えを露土しなかったということはまず……ない。
「キラは戦うことを決意されておりました」
だから死んでいるなどということはない。
そう力付けるようにラクスは告げる。
どこかで生きている。どこかで戦っている。
ならばどうして帰ってこないのか、という疑問も生まれるが、そう信じられるほうが良い。
「ラクス様。そろそろお時間です」
「あら、もうそんなお時間ですの……すみません、アスラン」
「いえ、忙しい中お時間をとってくださって感謝します」
アスランも暇ではない。ディアッカやイザークに押し付けて出てきたが、そろそろ限界だろう。
丁度良いといえばいい。
「いいえ。久しぶりに生身でお会いできて楽しかったですわ」
「俺もですよ、ラクス。あなたやカガリには中々お会いできる機会がなくて残念です」
「今は仕方がありませんわ」
闘いの傷が癒えきらない今は。
まだ譲れない地位にいる今は。
「わたくしがここに居るのはキラのためですわ」
戦う決意を確かにした。キラと二人、戦っていこうと、生きていこうと。
だから新しい機関を立て、そのトップに収まった。少しでも悲しい戦いが起こらないように。
「……俺もそうですよ」
最後にそう言って、アスランの寂しそうな顔が扉にさえぎられて消える。
ラクスもおそらく似たような顔をしているのだろう。
「ラクス様、お支度を」
「ええ、今行きますわ」
部屋に残った秘書に答えながら思考はまだキラから抜けきっていなくて、思う。
そういう人が居ることを。
「忘れないでくださいね……キラ……」
どこに居るかもわからない大切な大切なヒトに向かって。
静かな、静かな静寂(しじま)に祈り。
***
キラとシンが通う学校は、グレードにすると高等学校(ハイスクール)にあたる。結構なボンボン学校で、ちゃんとレトロな制服があるのが面白い。紺のブレザーとスラックス、ベストに赤いネクタイ。靴は革靴、鞄まで学校の校章(エンブレム)が入った革のいわゆる学生鞄という奴だ。
そんなレトロを愛する学校の校舎にエレベーターなんて付いているわけもなく、山になったプリントの束を持ってよたよたとキラは階段を上る。
一年は一階、二年は二階、三年は三階と配した典型的な造りで、特別室は北校舎と呼ばれる渡り廊下で繋がった別館にある。その別館からえっちらおっちら各学年7クラスの一年から三年までのプリントを運ぶのは結構な労働だ。
唯一幸いなのはビニールの紐で括られているからお約束にばら撒いたりしないことだが、階段から落ちたりしたらそんな幸い意味無いなぁと思いながらプリントの山で見えない前を気にしながら足を動かす。
「何してんの?」
視界がいきなり開けて見慣れた顔が現れる。ネクタイを緩めて、シャツの第二ボタンまで外して着崩した制服がらしいといえばらしく、呆れたような顔をして半分を持ってくれたらしい。
それほど身長差があるわけではないけれど、二人で持てば半分で済むから十分に前が見える。
「文化祭の資料だよ。各クラスに配布しなくちゃいけないんだ」
「そんなの実行委員か学級委員に取りに来てもらえばいいのに」
「次の時間HRだからそういうわけにも行かないんだよ……だいたいぎりぎりになったのは生徒会の責任だしね」
「ふーん。俺の学年のもあんの?」
「一年生のは置いてきたよ。一階からきたから」
じゃ、三年のとこかと言って先に立ってシンが足を進める。それにあわててキラも後を追った。
シンが一年、キラが二年。シンもキラも歳をごまかしているが、東洋系の血が幸いしてかその制服に違和感は無い。同じ学年にしなかったのは情報収集のためだった。キラが二年生に入っていることも同じ理由だ。
どうせすべて詐称なのだ。歳を一つ誤魔化すも、二つ誤魔化すも違いは無い。五十歩百歩というもので、将来への影響も、罪悪感もない。
自分のクラス以外は配り終わり、キラのクラスに帰る方に足を向けると昼休みはまだ少し残っていたからシンも普通についてきた。
「あ、キラー」
ナイスなタイミングで廊下に面した窓から見知った頭が覗く。
赤い髪をばさばさとさせたマキシン・フォートランだ。
キラを会長に推した人間であり、現副会長でもある。
ひらひらと手を振って労う友人にキラは塞がった手で応える。
「弟君もご苦労さん」
「だったらキラ一人にやらせんなよ。ただでさえひょろっこいんだから」
「ヒドっ……シンとそれほど違わないだろ!?」
びしっと腕を突き出してみたけれど、まじまじと見つめる視線は懐疑的な雰囲気で、シンが自分の腕をその横に並べる。
明らかにそれは。
「……違うだろ」
「うっ……そんなことないって!」
正規ではないにしろ一応キラだってパイロットだったわけで、それなりに腕だって太いはずだし、力だってあるはずだし、体力だってあるはずだ。
――――――――本来なら。
だが否定するキラをよそにマキシンがシンに同意を求める。
「やーどう見たって……なぁ?」
「だからあんたも手伝えって言うんだよ。一応副会長だろ!」
「一応は余計だぞ、弟君」
「だったら尚更働け!つか普通会長一人に使いっぱしりなんてやらせるか!?」
「使いっ走りじゃなくて普通に仕事だよ、弟君」
「だからそれなら尚更……って弟、弟うざいんだよ!」
「だっておまえキラの弟だろ?」
「あんたの弟じゃねーだろ!」
違う方向に進みつつある舌戦に口を挟む気にはならず、キラは苦笑しながらちらりと時計を見る。
まだお昼休みも10分くらい残っていたが、そのコントを見ていたら昼食を食べる余裕は無いだろう。
(……HRの間にマキシンに食べてもらおう、うん)
こっそり捨てるという選択肢もあるけれどそれはもったいない。
学食は食べきらないし、そもそも生徒会の仕事で食堂でゆっくりしている時間なんて無いという理由でサンドイッチやらおにぎりを持参しているキラだが、それほど食欲はないのだ。
好きなものはとことん食べるけれど。
そんなコントじみた舌戦を繰り広げる二人と、ぼんやり傍観する一人の間の仲裁は教室の中から来た。
「チャイム鳴るよ」
「ジェイド!」
くるくるぎぎみの金髪に眼鏡を掛けた学級委員長の鶴の一声にキラがパッと反応する。
「うん、そうだね!あ、これ文化祭の資料うちのクラスの分」
「ああ、ありがとキラ。で?あいつらまたやってるんだ」
「あはははは……」
また、と言われてしまうくらいにマキシンとシンの舌戦は恒例になりつつある。
相性がいいのか悪いのか。
本来なら同じ歳であるはずだから表向き学年が一つ違っても先輩後輩なんて観念はないだろうし―――というかそもそもシンにそんな愁傷な観念は無いんじゃなかろうか―――じゃれあいが楽しいのか、それとも本気で馬が合わないのか微妙なところだ。見ている分には前者だと思うのだけれど。
とりあえず、鶴の一声がもう一方を押さえているうちに。
「ほらほら戻った戻った」
シンの背中を押すように階段に向ける。
下りだから大して時間も掛からないし、LHRなんて先生は中々来ない。むしろバタバタ忙しいこの時期のLHRなんて出席も取らないから多少遅れたって構わないのだけれど。
「さー。ホームルーム始まるよ」
昼休みにまだざわめく教室をキラはニッコリとその一言だけで黙らせた。
学級委員と生徒会役員は基本的に兼任できない。
ただし生徒会というのはやはり権力者であって、クラスでもそれなりの発言力を有するという事実があった。
「今日の議題はズバリ文化祭で何をするのか」
ジェイドがババンと黒板に書いた題に、そのまんまじゃんという突っ込みを聞き流してHRが始まる。
黒板の方へ出るわけでもなく、大人しく自分の席に着いたままキラはマキシンとそれを眺める。
発言力があったとしても、それにかまけてゴリ押しするのはご法度なのだ。
もっともそれ以前の問題もキラにはあって。
「ねぇねぇ、普通文化祭ってなにやるの?」
散々資料は纏めてきたが、今更のようにマキシンに聞く。生徒会の仕事はともかくとして、クラス向けの出し物規定なんて忙しすぎていちいち読んでいる時間なんて無かったのだ。
「劇か屋台が普通だな。あと喫茶店とか」
へぇと相槌を打ちながら何も出ていない黒板を見る。
カレッジの文化祭は研究室ごとの研究を絡めた出し物だったから、相当違うんだと新鮮な気分になった。
「あ、あとクラスから最低一人生贄でミスコンやるんだ」
「男子校でミスコンってなにさ……」
どう考えたって可笑しいだろう。ミスコンの「ミス」は女性に付ける敬称だったはずだ。
「キラみたいな可愛い系はさ、絶対上位いけると思うぜ?」
ニッコリとマキシンに太鼓判を押されても嬉しくない。というかそんな不吉な評価誰が喜べるというのだ。
「……その笑顔は何?」
身の危険を感じてじりじりと椅子ごと下がろうとするキラに、椅子の背もたれをがっしりと掴んでマキシンが意味深な笑顔のまま距離を戻す。
「そりゃ勿論」
その後は言われなくても分かったし、近くの席には十分に聞こえたらしい。
「えーなになに、キラ出てくれんの!?」
「ホントかよ!!」
「今年はお笑いじゃなくて正統派だな!」
「去年はぐろかったよなぁ……うちのクラス」
「正統派出すとこ少ないんだよな」
「え、ちょ、それ……」
あれよあれよという間にクラス中に広がってまるで決定事項のようになっていく。
ミスコンの話が気になるらしく、誰もジェイドの話なんて聞いちゃいない。
……そりゃそうだろう。他人の不幸は自分の安全だ。しかも女装なんていいからかいのネタだ。
「おい、こら!人の話を聞けよ!!!」
さすがにジェイドが怒って注意を促すのに、キラキラとさすがジェイドな視線を向けた。
……が救いの神なんてこの世にはいないらしかった。
「まぁミスコンはキラってことで決定で、クラスの出し物!!なんか案出せよ面白やつ」
「ちょっ……勝手に決めないでよ!!」
がっくりと拍子抜けな展開に気を落とすまもなく突っ込むが、もはや待ってはくれなかった。
「衣装はちゃんとクラスで考えて買ってくるから心配するなよ」
「そーじゃなくって!!」
「あ、やりたい奴いたら二人でもオッケーだからな」
げーというざわめきを背に、クラスの出し物の話に戻っていくジェイドに、だから勝手に決めるなよという思いはもう口には出来なかった。